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世界史 政治用語

絶対王政とはどんな政治体制?その仕組みと資本主義との関係をわかりやすく解説!

2020年11月15日

絶対王政は、それまでの封建的な仕組みの崩壊に伴い誕生しました。その時代、ヨーロッパ諸国で大きな繁栄と文化が花開くこととなりました。封建制度から資本主義への流れにおいて、絶対王政の理解は重要なポイントです。

そこでこの記事では、絶対王政の成り立ちや絶対王政の仕組みなどをそれぞれ解説していきます。

絶対王政とは?

絶対王政とは、15〜18世紀ごろのヨーロッパで、国王のもとに権力が集中した結果、王による絶対的な専制政治が確立されたことを指します。

15世紀から16世紀にかけての早い時期のポルトガル、スペイン、16~17世紀のイギリス後にはプロイセンやオーストリアなどの領邦で絶対王政が形成されていきました。

絶対王政では官僚制と常備軍の形成が進んでいきこれまでのような傭兵による戦争ではなくなり、またそれらを維持する財源を確保するため重商主義の経済政策がとられていきました。

絶対王政の成り立ち

まず絶対王政の成り立ちや仕組みついて解説します。

封建社会の成立

中世ヨーロッパは、封建社会でした。封建社会とは、土地を介した主従関係のことで、領主に土地を安堵してもらう代わりに農民は年貢を納める制度のことです。

当時ヨーロッパではより豊かな土地を求めて民族の大移動が発生しており、そのため自分の土地が脅かされる事態が頻発していました。そこで農民たちは自分たちの安全を守るために、有力者と主従関係を結ぶこととなったのです。

より守る力のある領主には多くの農民が主従関係を結びたがり、だんだん大規模になっていくと、徐々に有力な大諸侯が誕生していき、小国家のようになっていきます。当時、すでに国王はいて身分制度の頂点ではありましたが、実質的には諸侯の一人に過ぎず、小国家が乱立しているような状態でした。

封建社会では、領主は年貢がたくさん欲しいので農業の生産性を向上させます。そうして徐々に生産物が多くできるようになると、余剰生産物が出来てきます。余剰ができると普段とは違う他の珍しいものと交換したくなるもので、そのように交換する人々が集まって、「都市」が生成されていきました。

封建制度の崩壊を招いた十字軍の遠征

大規模な都市と有力な領主による封建制度の崩壊のきっかけは、十字軍の遠征でした。11世紀から13世紀の200年にも及ぶ十字軍の遠征は、当時ヨーロッパで流行していたキリスト教の聖地巡礼とキリスト教徒の国土回復運動熱が高まって、聖都の一つであるエルサレムを巡ってユダヤ教やイスラム教と戦うものでした。

結果としてキリスト教勢力は惨敗するのですが、この200年を通じて、十字軍の遠征に赴いたことで有力な領主勢力の力が衰えたことが、封建制度を崩壊させ絶対王政を誕生させるきっかけとなったのです。

十字軍の遠征で多くの領主が亡くなり、その遺領を没収した国王が力をつけていきました。さらに十字軍以前は教会勢力も国王を凌ぐほどでしたが、キリスト教の戦いが惨敗したことで、その教会勢力も衰えていきます。この機会に国王は自らに絶対的な権力を集中させ、国内の統一を進めていくこととなるのです。

絶対王政の施策

絶対王政の制度-官僚制度と常備軍

国王は、自らに権力を集中させる施策として、まず優秀な人材を登用して官僚制度を整備しました。あわせて、土地安堵の主従関係による軍士ではなく、賃金で雇う常備軍を設け、それを基盤に専制政治を執り行っていきました。

それでもまだまだ地方の領主や教会に強い力が残っていたり、さらにまだ地位が盤石ではない国王自身がその力に頼る場合もあり、国王の権力はまだまだ不安定なものでした。そこで王は、「自らの支配権は神から授けられたもので、国民は絶対服従すべきである」という王権神授説を広め、王の権力を正当化しようとしました。

絶対王政での経済活動、重商主義

絶対王政では、官僚と常備軍という人材に対して、膨大な資金がかかりました。これまでの封建制度により獲得できる年貢ではとてもまかないきれません。そこでその財源確保のために行った経済政策が、重商主義です。

重商主義は主に2つの方法があります。
初めの頃は、鉱山や植民地から直接金や銀を採取する重金主義という方法を取りました。

しかし鉱山の発掘や植民地支配にも資金がかかります。よりよい植民地にはすでに有力な国の支配がついていますし、新たな植民地を求めるには時間もお金もかかってしまうのです。そして何より金銀の資源は有限です。いつまでも無尽蔵に金銀が採掘できるわけではありません。そこで貿易差額主義という考え方が出てきます。

貿易差額主義とは、輸出を増やし輸入を抑えその差額を得るという方法です。輸出を増やさなければいけないので、それにより各国の商業の発展に繋がっていくこととなりました。

また絶対王政の施策の中には治安を守るため多くの社会政策を取り入れました。食料品の価格を安定させるため、穀物やパンの価格を規制したり、賃金や労働時間などの雇用形態についても細かい規定を定め、救貧のシステムを成立させました。

絶対王政で栄えた大国たち

こうしてヨーロッパで主流となった絶対王政でしたが次は絶対王政になりヨーロッパの大国へと成長した国について解説します。

イギリス

エリザベス1世

フランスとの戦争や、大きな内乱であったばら戦争により、イギリスでは封建貴族の多くが没落し、代わって商人などから出たジェントリと呼ばれる地主階級が力を持ち始めました。

ばら戦争を収拾したヘンリー七世はそのジェントリを官僚として登用するなど、絶対王政を強めていきます。

次の王であるヘンリー八世の時代にイギリスは絶対王政は確立し、その後のエリザベス一世の時に頂点を迎えます。宗教改革や徴税に関する制度を整えたり、他のヨーロッパ各国と同じように、世界に植民地を多く持ち繁栄しました。

 フランス

ルイ14世

フランスではイギリスとの百年戦争以来、王権が強化されていました。30年以上も続いた宗教対立による内乱を抑え、国の回復に努めたアンリ四世とルイ十三世が徐々に中央集権化を進め、ルイ十三世の子であるルイ十四世の時代に確立されます。

ルイ十四世は商工業の育成を図り、重商主義政策を促進することで王室の財政基盤を強化したり、ヨーロッパ最大の常備軍を整えました。
ルイ十四世の有名な言葉「朕は国家なり」は、フランスの絶対王政をよく表しています。

スペイン

Titian - Portrait of Charles V Seated - WGA22964.jpgカルロス1世

スペインは以前よりイスラム勢力により一部都市が占領されるなどしていたので、国土回復運動(レコンキスタ)をずっと続けていました。
15世紀には、イスラム教徒の拠点であったグラナダを陥落させ、ユダヤ教徒やイスラム教をスペインから追い出します。

大航海時代を経て国外にも広大な植民地を獲得したスペインですが、国内はカタルーニャなどの地方の力が強く一枚岩では行きません。16世紀、神聖ローマ帝国の皇帝でありスペイン国王であるカルロス一世(ローマ皇帝としてはカール五世)が反乱や抵抗を抑えスペインでの絶対王政を確立させました。

 プロイセン

長い間内乱により戦場となっていたドイツでは、およそ300もの小国家が乱立した混乱状態でした。

その中から、プロイセンとオーストリアが台頭し始め、フリードリヒ=ヴィルヘルム一世や次のフリードリヒ二世の時代に産業の育成と軍備の強化に努め、軍国主義的な絶対王政をつくりあげました。

絶対王政を崩壊させた市民革命

こうして国王が絶対という政治体制がヨーロッパ各地で整えられていきましたが、この制度は市民革命という形で崩壊することになるのです。

ピューリタン(清教徒)革命と名誉革命

イギリスで起こったピューリタン革命(清教徒革命)と名誉革命は、それまでの国王の専制政治であった絶対王政から、国民の代表である議会が政治の主導を握ることになった出来事です。

いずれも、当時のイギリス国王の専制政治による権利の抑制や剥奪に対し立ち上がり抵抗した議会との内乱です。このピューリタン革命によってイギリスではチャールズ1世が処刑されクロムウェルが護国卿として政権を握ることになります。

その後クロムウェルの死後王政復古して王政にイギリスは戻るのですがイギリスでは絶対王政を行うだけの権力が無くなり、絶対王政を行おうとしたイングランド王ジェームズ2世(スコットランド王としてはジェームズ6世)が1688年から1689年にかけて起こった名誉革命によってフランスに亡命。ジェームズ2世の娘メアリー2世と夫でありオランダ総督であったウィリアム3世がイングランド王に即位したことでイギリスは立憲君主制の道を突き進むことになるのでした。

数世紀にもおよぶ絶対王政という制度も、力をつけてきた国民の勢いには抗えず、各国で市民革命が起こり王政が倒されていくことになりました。

フランス革命の衝撃

イギリスと同じく絶対王政の代表格とされていたフランスでも革命が波及していくことになります。

フランスではルイ14世とルイ15世の時代に度重なる外征を行い戦費を大量に費やしてしまいます。

しかし、それに見合った利益を得ることができなかったことがフランス国民への重税という形でのしかかってくることになります。

さらにはフランスではこの頃アンシャンレジーム(旧体制)と呼ばれる貴族や聖職者などを免税する特権が与えられており、市民の怒りが徐々に積み重なっていくことになります。

その結果フランスではバスティーユ牢獄の襲撃をきっかけとしてフランス革命が勃発。

国王のルイ16世とマリー・アントワネットが処刑されフランスでは第一共和政が成立することになるのでした。

まとめ

絶対王政とは、それまでの封建制度から国王に絶対的権力を集中させることで国王は官僚制度と常備軍により専制政治を行うことになります。

生産性をあげて輸出を増やす重商主義という経済政策を行い、イギリス、フランス、スペイン、プロイセンなどが絶対王政により大きく繁栄しましたが、その後ヨーロッパでは市民革命の時代に突入していくことになりました。

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