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世界史

ユーゴスラビア内戦が起こった理由と結果をわかりやすく解説!ユーゴスラビア内戦の全貌はこれだ!

2020年5月15日

みなさんユーゴスラビアという国を知っていますか??

もし知らないといっても大丈夫です。実はこの国もう今は存在しないんです。

え??なんでなくなったの??と思う人は今の若い年代の方は多くいることと思います。

それも仕方ありませんよね。なぜならいまは存在しない国だからです。

すなわちユーゴスラビアは解体されたわけですね。

その解体の大きな要因となったのが、今から説明して行こうと思っている、ユーゴスラビア内戦なのです。今回はどうしてユーゴスラビアが崩壊したのかについて詳しく見ていきましょう。

まずユーゴスラビアはどこ??そして、どんな国? 

ユーゴスラビアはバルカン半島に位置します。わかりやすく言うと、アジアとヨーロッパの境目の国だったのです。

みなさんこの言葉を聞いたことがあるでしょうか?

「ヨーロッパの火薬庫」

バルカン半島では、多数の民族や宗教がごちゃごちゃ混ざっていて、全く統一性がなかったので、争いが絶えませんでした。

そのことからバルカン半島はこのようなイメージを持たれています。ユーゴスラビアは、みなさんしらべても分かる通り複雑です。

何個もの説明がでてきて、いくつ国境があって共和国があって、、、と解説をみても、わけがわからなくなります。

しかし、その感想こそがこの国の本質だと私は思います。

第一次世界大戦後に初めて国ができ、当初はセルビア、スロベニア、クロアチアの三つの人種からなる連合国として成立しています。

あれ?そんな複雑ではないな、と思った人もいるのではないでしょうか。実はまだ続くんです。

次に起こった第二次世界大戦ではナチスドイツのの占領により一時は消滅してしまい、セルビア地域には、ドイツ軍が軍政を敷くと共に、ミラン・ネディッチ将軍率いる親独傀儡政権のセルビア救国政府を樹立させました。一方でクロアチアはドイツの支援を受けてクロアチア独立国を成立。クロアチア人はセルビア人への復讐を始めていき、ナチスの強制収容所をモデルとしてヤセノヴァツなどの強制収容所にセルビア人を連行し、そして虐殺します。

しかし、ユーゴスラビアにはパルチザンがレジスタンス運動を開始。ドイツ軍に対して粘り強く抵抗してソ連軍の力を借りずに、ユーゴスラビアの自力での解放を成し遂げました。そして戦後にはユーゴスラビア社会主義連邦共和国が建国。

さらには1953年にはパルチザンのリーダーでありカリスマとして名高いティトーが大統領に就任し、やじろべえみたいなバランスで民族運動を抑えていくようになったのです。

ポイント

ユーゴスラビアの格言

「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、1つの国家」

 

なぜ解体を引き起こす内戦がおこった??そこの背景とは!?

分裂が起きた背景すなわち内戦が起こるかっけとなる理由として、大きく分けて2つあります。

まず1つ目の理由、それは経済格差です。

ユーゴスラビアの中でも、スロベニア、そしてクロアチアは工業化が進んでおり経済的にすごい豊かでした。

その一方で、その当時人口が多いセルビアでは経済の発展が乏しく、経済的には豊かとは程遠いものでした。

これでなぜ対立が起こるのか。

豊かなところでは豊かさを他に分けようとせず、自分たちのためだけにしようとしたため、ユーゴスラビアから独立を望む声が多く上がりました。

一方で貧しい国では、そのような豊かな地域の動きにより、憎しみを募らせることになりました。

これが分裂、対立を起こす1つ目の要因です。

次に2つ目の理由、それはそれぞれの地域による民族意識です。

ただの南スラブ人でしかなかった彼らがそれぞれの民族で共和国を形成していく中で、「どこの国の人種なのか」というのを気にするようになりました。なぜ、ここで民族意識が生まれたのか?ここが問題です。

この内戦が起こる以前は、カリスマ的指導者ティトーにより統治されていました。しかし、ティトーが亡くなるとその死後には構成国の共和国ごとにローテーションで回していました。このことから自分がどこの人なのかというのを強く思うようになったのです。

たしかに自分自身が他の国、例えばヨーロッパなどへ出た時に、日本人だ!というのをやたら主張してた覚えがあります。そのような感覚と似ているかもしれませんね。

このように2つ大きな要因があり、分裂の道を辿り内戦へと繋がっていきました。

どんな内戦だったの?

先ほどまで、内戦へと繋がった大きな要因を説明してきました。次にこの内戦がどのようなものだったのか説明していきたいと思います。

この内戦の特徴として、スパンって内戦が終わって独立していったわけではなく、段階に独立していきました。

そしてもう一つ凄惨な被害があったことです。この段階的な独立の先駆けとなったのはどこでしょうか。そう、経済的に裕福なスロベニアとクロアチア1991年に独立宣言をしたのです。

そしてその後に、ボスニア、マケドニア、モンテネグロの順にしていき、これに合わせて内戦の場所も転々と変わっていきました。

そしてこの内戦の1番の特徴と言ってもいい凄惨なありさまということです。敵対する民族に対して、強制移住どころか、大量虐殺、レイプなどが横行しました。あたかもその一つの民族を全滅させようかという勢いでして、これを民族浄化と呼ばれています。

その酷さゆえに、当時セルビアの大統領ミロシェビッチをはじめとする多数の指導者が国際法廷で裁かれました。

あまりこの凄惨さを想像したくはありませんが、国際法廷で裁かれるほどなので、どれだけ凄かったのかわかりますよね。

そして泥沼で凄惨な状態となってしまったユーゴスラビアは2006年に完全に崩壊しました。

民族紛争のその先に

さて、ユーゴスラビア内戦の、きっかけ、その背景を説明してきました。

この内戦後に、世界各地で民族紛争、宗教紛争が多発することになります。ユーゴスラビア内戦が先駆けとなったと言っても過言ではないでしょう。

この先世界各地で、宗教、民族関係なく平和に過ごせることを祈るばかりですね。

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