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文化

柳田国男ってどんな人?民俗学の父と呼ばれる柳田国男について解説!

2020年6月14日

皆さんは日本の習慣や方言などに興味はありますか?

方言というものは基本的に意図して使わずにいつしか自然に話すものなのであまり興味がないという人もおもいます。

しかし、日本には日本各地に残る言い伝えや生活習慣、言語、信仰などの分析・研究を通してそこから日本の歴史や成り立ちを探っていこうとする民俗学があるのをご存知でしょうか?

今回はそんな日本の新しい歴史の一面となってる民俗学というのはどういうものなのかについて見ていきたいと思います。

民俗学というのはなんなのか?

民俗学は伝承や物語などを通して人間の営みの中で伝承されてきた現象の歴史的変遷を明らかにしてそれを通じて現在の生活文化を相対的に説明しようとする学問のことです。

似ている学問として歴史学がありますが、歴史学が一次資料などの証拠を通じて研究することに重点が置かれているのに対して、民俗学は各地での聞き取りやフィールドワークといった手法によって歴史を明らかにしようとするのが民俗学の特徴です。

また、民俗学が日本の庶民の文化を明らかにしており、今の日本人のルーツを探す学問としても使われております。

民俗学は世界のどの国でも研究されている文化ですが、日本の民俗学を創始して民俗学という一つの分野を大成させたのが柳田国男でありました。

今回は、こうした柳田国男の生涯と、彼が生み出した民俗学についてまとめてみます。

民俗学の権威 柳田国男の生涯

柳田国男(1961年)

柳田国男は1875年に兵庫県神東郡田原村辻川(現・神崎郡福崎町)で儒学者であった松岡操の八男として生まれました。

医者という職業は今では裕福な職業ですが、この頃の医者はそこまで稼げる職ではなく、松岡家も決して裕福でありませんでした。

しかし、そんな中でも国男は懸命に学問に打ち込んでいき、いつしか地域でも一番の秀才として知られていくようになっていきます。

そうして秀才として名を馳せていくようになった国男は1897年に東京帝国大学法科大学(現在の東大法学部)に入学。

上京してからは島崎藤村や田山花袋と言った自然主義派の文学青年と交流を深めていき、文学に興味を示し始めました。

しかし、彼は文学の道を目指すことはなく、1900年東京帝国大学法科大学を卒業後したのちはこの頃の定番コースであった官僚の道を歩み始めることになって農商務省農務局に勤務。その翌年には現在の最高裁判所に当たる大審院の判事を勤めていた柳田直平という人のもとへ養子として入って松岡から柳田に姓を変えてこの時から柳田国男と名乗ります。

旅行を通じて民俗学の道へ

しかし、そうした国男の人生の転機となったのが九州旅行でした。

宮崎県椎葉村で、狩りのしきたりについての話を聞きこれが彼を民俗学の道へと向かわせるきっかけとなりました。

1912年には東北地方を旅行して岩手県遠野の人で文学者でもあった佐々木喜善から遠野に伝わる様々な言い伝えを聞き取りそれを『遠野物語』と題して発表。

遠野物語は小編の物語119話から構成され日本古来の河童・天狗・雪女などの妖怪や、神隠し・死者にまつわる怪談、オシラサマ・ザシキワラシ等、地元で信じられている神様の話などさまざまな、伝承がまとめられたものです。

そこには、仏教や儒教などの影響を受けることもない、日本独自の素朴な庶民の姿が、生き生きと描かれていました。「遠野物語」は、その高い文学性ともあいまって、社会的にも反響を呼び起こしました。

柳田国男の考え

遠野物語はまさに柳田の中の民俗学の出発点となっていきました。国男はその後農商務省での仕事の傍らでさらに民俗学の研究を続けていきます。

例えば蝸牛考ではカタツムリの呼び方が地域により異なることに着目し、その比較検討から言語は近畿から地方へと伝播していったと推論し、このことから文化は都がおかれていた京都を中心から周辺へと伝わっていったため、周辺にかえって古い文化が残っているという説を唱えました。

その後民俗学という新しいジャンルを日本に浸透させた柳田国男は1949年に日本民俗学会を発足させて初代会長に就任。1959年には文化勲章を受章。その後最後まで日本の文化に触れていきましたが1969年に 心臓衰弱のため死去。87才でした。

民俗学は今もなお

 

現在の民俗学研究は多様化してきており、昔の研究結果を覆すことは多々あるようで、柳田国男の研究成果の全てが必ずしも認められている訳ではありません。

しかし、柳田国男が日本民俗学の生みの親であり、今日の日本民俗学の基礎を築き上げてきたことには間違いありません。柳田国男が、最初、民俗学に取り組むにあたって抱いていた問題意識は、「なぜに農民は貧なりや」というものでありました。

彼はこの古来日本に伝わる伝承から民俗学の研究を通じて現在における社会問題をいかに解決するかを、歴史的に考えようとしたのでありました。

柳田は民俗学について、「目的においては、歴史家と同じ、ただ、方法だけが少し新しいのである。」と話していたといいます。

柳田国男の民俗学は、異なる角度から歴史を見つめ直す方向性を示していき、歴史研究に広がりを持たせたものであったと言えるでしょう。

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