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政治用語

白豪主義とはどんな主義?内容や歴史的背景・問題点について簡単にわかりやすく解説!!

かつてオーストラリアでは、白人を優遇し、有色人種を差別する政策である「白豪主義」が進められていました。
「白豪主義」に基づいた政策が長らく続けられたことによって、アジア人や先住民であるアボリジナルは、長期に渡って差別的な扱いを受けてきました。
今回は、そんな「白豪主義」について、簡単にわかりやすく解説していきます。

白豪主義とは

白豪主義(White Australia policy)とは、オーストラリアにおける白人至上主義的イデオロギーであり、その考えに基づいて、有色人種の移民を排斥・差別してきた移民政策のことです。

この考えをもとにした国家政策は、1901年から1973年まで進められ、この間、有色人種、特にアジア人は入国を大きく制限されました。

また、同時に、先住民のアボリジナルを始めとした国内で暮らす非白人は、差別的な政策の対象とされました。

現在のオーストラリアでは、すでに白豪主義は撤廃されて過去のものとなり、多くの異民族がともに暮らす「異民族国家」としてみなされる国に変化しています。

白豪主義が起こった背景

では、白豪主義はどのような背景をもとに始まったのでしょうか。
オーストラリア大陸には、現在、多数派を占める白人がヨーロッパからやってくる前に、アボリジナルと呼ばれる人々が住んでいました。
(※現在、先住民が持っている多様性への配慮から、「アボリジニ」ではなく「アボリジナル」という表現が一般化しています)
彼らは白人とは異なる固有の文化を持ち、オーストラリア大陸の各地で多様な生活を営んでいました。
そこに、アメリカの独立によって流刑囚植民地を失ったイギリスが、植民地化を目指して、オーストラリア大陸に入植を始めます。
生活習慣や考え方で大きく異なるイギリス移民とアボリジナルは融和することができず、衝突を重ねました。

イギリス移民の無法者たちは、アボリジナルを蔑み、恐れて、銃やライフルでの襲撃を繰り返します。
そのような白人の襲撃による被害にも増して、彼らが持ち込んだ天然痘やその他の病原菌の脅威はすさまじく、多くの先住民が病気によって命を落としました。
イギリス人が入植する前、30万~100万人いたとされるアボリジナルは、1900年代初めには、6万人まで激減したといわれています(その後、人口は増加に転じ、今では26万人程の人口と言われています)

アジア人に対する排斥

イギリス人がヨーロッパから遠く離れたオーストラリアに入植を始めた時、イギリス人たちは囚人を労働力として使い、植民地開拓を進めていました。
しかし、1833年にイギリス帝国が奴隷制を廃止し、奴隷を労働力として使用できなくなったことで、オーストラリアは労働力不足に陥ります。

どうにかして労働力を確保する必要に迫られたオーストラリアを始めとする各国は、合法的に労働力を得られるよう、中国(当時の清)と条約を締結し、中国人を植民地に入植させる手はずを整えます。

その結果、中国南部からオーストラリアへ大量の移民労働者が押し寄せ、1854年から1858年の5年間だけで45000人が流入したと言われています。

そんな折に、オーストラリアの各地で金脈が見つかり、空前のゴールドラッシュ・ブームが起こります。

一攫千金を求めて、オーストラリア国内からだけでなく、世界中から多くの人が殺到しましたが、中でも、目立って増加したのが、中国移民、いわゆる華僑でした。

急激な人口バランスの変化の中、増大した中国移民に仕事を奪われたと感じた多くの白人は、各地で暴動を起こし、「中国排斥運動」を推進しました。

「中国人排斥運動」の動きが高まったことを受けて、各州の議会は、中国からの移民を制限する法律を制定します。

当初、中国人を対象としていたその法律は、後に、有色人種一般へと拡大し、古くからラクダ使いとして働いていたアフガニスタン人やサトウキビ農園で働いていた南太平洋諸島人、真珠貝採取を生業としていた日本人までをも対象にしました。

そうした流れの中で、1901年に開かれた第1回連邦議会選挙で、移民に関する法律「連邦移住制限法」が制定されました。

これにより、国家政策としての白豪主義政策が始まり、その後は、公然と、有色人種の移民が制限され、国内の有色人種は差別的扱いを受けるようになりました。

白豪主義の影響

「移民を希望する非白人」に対する差別

この法律によって、有色人種がオーストラリアへ「移民」として入国することは不可能になりました。

しかし、政府は人種差別的な政策を隠蔽したいがために、「移民制限法」に「アジア系移民の入国は拒否する」などと、具体的な明記は行わず、別の方法で移民を制限しました。

その方法は、「移民資格試験」を新たに設けるというもので、入国を希望する外国人に対し、ヨーロッパの「言語テスト」に合格することを義務づけたのです。しかし、その「言語テスト」は形式だけの検査でした。

審査官は、50もあるヨーロッパ言語の中から、申請者が話すことができないであろう言語を選んで質問し、ほとんどの非ヨーロッパ移民を不合格にしました。

これにより、アジアからオーストラリアに「移民」として入ることはまずなくなりました。

「国内の非白人」に対する差別

また、白豪主義政策は、オーストラリアに入ろうとする「移民」に対する差別だけではなく、オーストラリア国内の非白人に対しても行われました。

国内に暮らすアジア系の移民は、結婚や土地の所有、選挙権などで多くの面で差別を受け、イギリス系の文化や生活習慣に同化することが求められました。
つまり、どのようなバックグラウンドを持っているかに関係なく、誰でも、日常的に英語を話し、アングロサクソン系オーストラリア人の社会的習慣に従うことが強要されたのです。
また、「白豪主義政策」を進めるということは、アボリジナルの人口減少、最終的には、民族の消滅ということを暗に意味していました。
そのため、アボリジナルの乳幼児を強制的に国や教会が里子に出し、強制収容所や孤児院で育てさせるということが、100年余りに渡って行われました。
親から引き離された子どもたちの多くは、性的、身体的、精神的に虐待を受けていたと言われています。
この問題は「盗まれた世代(子どもたち)」と呼ばれ、具体的にどの程度の規模で行われていたのかなど、現在も議論が続いています。

白豪主義から多文化主義へ

白豪主義を捨てた原因

オーストラリアは、第二次世界大戦が終わっても「白豪主義」を維持していましたが、人道の観点から国際的な非難にさらされはじめました。

それに加えて、国防や経済の観点から、国として人口を増やす必要に迫られ、移民を増やすことで労働力を確保することが、国の最重要課題になりました。

そのため、当初、政府は、従来どおりに、イギリスやアイルランドからの大量移民を試みますが、戦後ヨーロッパの人口減少・経済復興などで思うように人が集まりませんでした。
そこで、新たな移民供給先を、イタリアやギリシャなどの非英語圏、東ヨーロッパの社会主義国、そして、後には、トルコやレバノンなどの中近東国などに求めました。

そうした積極的な移民政策に伴い、1958年には、「白豪主義政策」のシンボルであった「言語テスト」が廃止され、数年後には、労働党の党綱領から「白豪主義」の文字が外れます。

また、1973年には、人種や地域による移民の差別を撤廃することを謳った「移民法改正」が現実のものとなり、長きに渡って続いた「白豪主義」は終わりを告げました。

多文化主義への移行

白豪主義を廃した後のオーストラリアは、移民に対する姿勢を「同化主義」から「統合主義」へと変化させました。
これまでの、すべての移民をアングロサクソン系の文化・生活習慣へ強制的に同調させるというやり方を見直し、移民自身の言語や文化等を尊重しながら、オーストラリア社会へ順応させるという方向に転換しました。
現在では、政府によって積極的に移民の受け入れが推奨され、人種、性別、肌の色、年齢にかかわらず、全ての国民に平等な権利が法律で保障されるようになりました。

オーストラリア国民は、白豪主義を「負の歴史」と捉え、「多文化主義」を積極的に推進しています。

すべての国民が、言論の自由や文化や宗教の自由、地域のサービスや手当を平等に受ける権利や、雇用機会の平等を保障されるなど、世界の中でも、多文化社会を代表する国の一つとみなされています。

まとめ

オーストラリアで行われた白豪主義は南アフリカのアパルトヘイトとともに代表される人種差別の法律でした。

しかし、第二次世界大戦後の大量の移民によるオーストラリアの多文化社会化が白豪主義の撤廃への背景にありました。

今ではオーストラリアは多民族国家として歩み始めているのです。

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