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日本史

ワシントン会議てどんな会議?第一次世界大戦後に出来たワシントン体制についてわかりやすく解説!

2021年3月21日

4年間続いた第一次世界大戦。世界の各国は戦争はもうこりごりだと思い始め軍縮に道を歩み始めていきます。

また、もう一つの懸案であった太平洋地域をどうするのかを決めるために1921年ワシントンで会議が始まります。

今回は、世界初の軍縮会議のワシントン会議についてわかりやすく解説していきます。

ワシントン会議とは

ワシントン会議とは1921年11月12日~1922年2月6日 に行われたアメリカ合衆国が主催し、提案した初の国際会議で、世界的にも歴史的に無かった初めての軍縮会議です。

国際連盟の援助や協力を得ずに実施されて、海軍が仕切る太平洋と東アジアに権利や利益があり、周囲の国にも影響力のある日本・イギリス・アメリカ・フランス・という当時の力の強い国と、イタリア・中華民国・オランダ・ベルギー・ポルトガルの中立国の計9カ国が参加した会議となり、会議後はワシントン体制というアジア太平洋地域の新秩序が出来上がりました。

ワシントン会議の成果

アメリカを中心として、世界主要か国で行われた歴史的会議であるワシントン会議が行われたことにより新たに生まれた条約があります。

・四カ国条約
・海軍軍備制限条約
・九カ国条約

と言うような、3つの条約が作られています。
そのことについて詳しく紹介したいと思います。

四カ国条約

アメリカ、イギリス、フランス、日本と言うような、大きな勢力を持っている国同士で結んだ条約です。
上記の4か国による太平洋領土における各国の権益を保障した条約で、各国の領土の問題について各国で解決できない場合はただちに会議を開くことが定められました。
この条約により日英同盟は破棄を余儀なくされました。

海軍軍備制限条約

海軍軍縮条約は海軍縮小のための条約です。

アメリカ、イギリス、フランス、日本、イタリアの5か国で締結されます。
海軍主力艦の制限をされて、主力艦の保有比率が定められることになり、その主力艦の作りにも制限を設けています。

・1隻最大3万5000トン、主砲を口径16インチ以下とする。

・保有量の制限としてはアメリカ、イギリス各52万5000トン・日本31万5000トン、・フランス、イタリア各17万5000トン

比率に関しては
アメリカとイギリスは5
日本は3
フランスとイタリアは1.67
と決まります。

また、いずれの国も10年間は主力艦の建造を禁止されています。
さらには、太平洋の島々の軍事施設を増やすことなく現状維持とするといった内容です。

九カ国条約

四カ国条約の4ヵ国にイタリア、ベルギー、ポルトガル、オランダ、中国の5か国が加わった条約です。

この九カ国条約は主に中国に関する内容となっています。
内容としては次の通りです。

・石井・ランシング協定が破棄。
・山東還付条約が締結。

と、いった内容です。

要するに中国の全領土の保全、解放をこの条約で取り決めました。

この様な条約をワシントン会議で締結されていますが、なぜこの様な条約を作ったのでしょうか?

なぜワシントン会議は行われたのか?

1919年1月18日に開かれたヴェルサイユ会議(パリ講和会議)で問題視されていたのですが、山東問題をはじめアジアや太平洋の軍事問題といった諸問題はそのままの状態でなにもされていませんでした。
同時期に、アメリカは防衛上の理由から太平洋における日本海軍の拡大を脅威に思い阻止する事を狙っていたのです。

さらに中国を市場とし、領土拡大を狙っていたアメリカとしては、第一次世界大戦から続いていた日本の中国進出は、アメリカとしてはとても厄介なものでした。

それだけではなく、各国は戦後の不景気のなかで軍事費の負担に苦しんでおり、新しい体制を作って軍事費を減らすことが求められていたのです。

日本を抑える

ワシントン会議の主導権はアメリカです。
アメリカの目的は軍備の縮小と、第1次世界大戦に勢いが増して中国に進出した日本をおさえることとされています。

なぜ日本を、アメリカはそこまでして抑えたいのでしょうか?
理由として挙げられるのは

・日清、日露の戦争に勝ち、第一次世界大戦でも被害をほとんど受けなかった
・日本が中国に勢力を拡大しすぎている

と考えられたのです。

さらに、ヴェルサイユ条約でドイツから日本に山東省を帰属することが書かれていたのですが、当然のことながら中国では反対運動が始まってしまいます。
当時の世界情勢ではどの国も日本が中国での勢力拡大が面白くなかったようです。
大きな力を持った国同士の勢力均衡状態にある世界で、力が強くなった日本を少しでも抑えるためするため、九カ国会議で山東省はもともとの約束通り中国に返還されることになりました。

さらに、アメリカとしては、自国・イギリス・日本の建艦競争を終わらせることにより、自国の財政負担を減らすことを目的に海軍軍縮条約を開催したのです。

しかしこの事は、日本としても良い結果で巨額な軍事費の支出のせいで国家財政の健全な運営が困難になっていたこともあり、日本としても軍事費を抑制する必要性に迫られていたのです。
しかし、海軍内では軍縮に対して不満が噴出することになりますが、財政負担を抑えたい当時の日本としては、この不満海軍の不満を抑えて条約を結んだのです。

上記のように、ワシントン会議においてアメリカは、明確な意図を持ってこの会議を開催し、条約を作ったのです。

明確な意図、それは軍艦建造を抑制することで財政負担の軽減をはかり、そして第一次世界大戦中に中国で拡大していく勢力膨張を起こした日本の勢力を抑え込むことでした。

この様に明確に日本の勢力を抑え込む条約ですがなぜ結んだのでしょう?

そのことに注目していきたいと思います。

なぜ条約を受け入れたのか?

日本の代表団。左から幣原喜重郎・加藤友三郎・徳川家達

先ほども書いたのですが、戦時中の日本は軍事費がかなり大きな負担となっていました。

ポイント

・財政負担を抑えること
・第一次世界大戦後の世界平和を求める勢力が強い
・二十一か条の要求やシベリア出兵など対外的に強硬な政策が国内、外で評判が良くなかったこと

等の理由がありました。

さらに、第一次世界大戦後は景気が良かったのですがその後徐々に不況と軍事費の財政圧迫で軍事費の削減が必須となっていたのです。
アメリカ、イギリスに対して穏健なこの外交政策を協調外交といいます。

この後も日本は協調路線を続けていき、後を継いだ外相の幣原喜重郎の名前を取って幣原外交とも呼ばれているようです。

この様に、当時の日本は、自分たちにとって勢力を委縮させられている条件を突きつけられる条約でしたが、それでさえ取らなくてはならない状況となっていました。

まとめ

この様に第一次世界大戦後の世界情勢では、アメリカにとって日本はとても危険で注意しなくてはいけない国となっていたのです。
しかし、もしこの条約がなかったら、世界は、日本はどの様な形になっていたのでしょうか?
もしかしたら全く違った世界になっていたかもしれませんね。

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