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世界史

オランダ東インド会社ってどんな会社?設立から解散までの歴史について解説!

2020年10月21日

アジアとの貿易を独占を目的に植民地経営までも担った東インド会社。国策で作られたものの世界発の株式会社という意義も持ち合わせています。

今回は東インド会社の中でもオランダが作ったオランダ東インド会社について概要と各国の歴史、日本との関係などをわかりやすく解説していきます。

オランダ東インド会社とは?

オランダ東インド会社の旗

オランダ東インド会社、正式名称連合東インド会社(オランダ語:Verenigde Oost-Indische Compagnie、略称VOC)は、1602年3月20日にオランダで設立され、世界初の株式会社と言われています。

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会社と言っても商業活動のみだけではなく、条約の締結権・軍隊の交戦権・植民地の経営権など、喜望峰以東における諸種の特権を与えられた勅許会社です。帝国主義の先駆けであり、アジアでの交易や植民に従事し一大海上帝国を築きました。
本社は、ネーデルラント連邦共和国(現在のオランダ)のアムステルダムに設置され、支店と位置づけされるオランダ商館は、インドネシアのジャワや日本・長崎県の平戸などに置かれました。18世紀末の1799年12月31日にオランダ政府により解散させられました。

オランダ東インド会社の設立までの歴史

16世紀後半、スペインと対立し八十年戦争を行っていたオランダは、スペインによる貿易制限・船舶拿捕などの経済的制裁を受けていました。当時、東南アジアの香辛料取引で強い勢力を有していたポルトガルが、1580年にスペインに併合されていたことで、オランダ商人はポルトガルの首都リスボンやアントウェルペンに入港できなくなり、リスボンやアントウェルペンを通じた香辛料入手も困難になっていました。こうした中、オランダはアジア産の香辛料を直接手に入れなければいけなくなり、アジアへの航路を独自で開拓することになります。
まずは、ポルトガルが押さえているインド航路やスペインが押さえている大西洋航路を避けるため、まずは北回りと北極海を抜ける航路を探索しましたが、それは失敗してしまいました。
しかし、1594年にアムステルダムに設立された遠国会社は、喜望峰まわりでアジアに向かう船団を編成します。4隻の船が1595年に出航し、1597年までの航海を通じてジャワ島のバンテンとの往復に成功すると、他のいくつかの会社が東南アジアとの取引を本格化させました。しかし、複数の商社が東南アジア進出を図ったがために、東南アジアでの香辛料購入価格が高騰し、またオランダで商社同士が価格競争を行ったために売却価格は下落する一方になり、諸外国との経済競争を勝ち抜く上での不安がのこされました。また、1600年にイギリス東インド会社が発足したことで、その懸念を深めさせることになりました。
イギリス東インド会社は、国王から独占を認められた特許会社として発足し、新たな脅威となると、オランダでも貿易会社の一本化に迫られることになり、ホラント州法律顧問オルデンバルネフェルトは単一の会社への統合を開始します。当時、各州の連合体であったオランダでは、統一会社の設立に反対も強かったが、時を経てようやく1602年に「オランダ東インド会社」が設立されました。

世界で一番はじめの株式会社

イギリス東インド会社では、1回の航海ごとに出資者を募る方法で、恒常的な株式会社ではありませんでした。それに対して、オランダ東インド会社の出資金はイギリス東インド会社の1回目の出資金に対して、約10倍もの出資金ではじまり、株式は無限責任から有限責任へと移行、出資者は間接ではなく直接会社に出資する、株式の譲渡は自由、など現在の株式会社と同じような性格をすでに持ち合わせていました。
また、正式な本社はありませんでした。
アムステルダム・ホールン・エンクハイゼン・デルフト・ロッテルダム・ゼーランドの6つの支社から構成されていたのが、オランダ東インド会社、連合東インド会社でありました。アムステルダムの支社が出資金額が最も大きかったので、事実上の本社の役割を果たしていました。

貿易独占権

オランダ東インド会社は、喜望峰からマゼラン海峡までの貿易独占権を認められることになります。これは、インド洋から太平洋にわたり、インド・東南アジア・東アジアを含む広大な範囲での貿易の独占権と、総督を任命したり、要塞を設けて兵士を駐屯させて、敵対する国、または勢力と戦争をする主権的権限が与えられていました。
また、総督からではなく連邦議会から、21年間の期限付きではありましたが特許状も出されていました。その後、その特許状も更新されています。

バタヴィア城を築く

オランダ東インド会社は、1609年に東インド総督を設け、東アジア貿易全体を指揮・管理することになりました。1619年、第4代東インド総督ヤン・ピーテルスゾーン・クーン(在任期間1619年〜1623年、再任で1627年〜1629年)ジャワ島西武のバンテン王国内の港町ジャカルタに拠点を置き、バタヴィア城を築きました。
バタヴィアとは、イギリス人を追い払って命名した場所です。ローマ時代のオランダで勇猛として知られていたバタウィー人の名前に由来します。
クーンは東インド総督としての辣腕を振るい、1621年モルッカ諸島南部のバンダ島を占領し、島民を大虐殺して島の特産の香辛料のナツメグとメースを獲得しました。1623年には、モルッカ諸島の香辛料貿易の利益を得ようと割り込み、日本人の傭兵を含むイギリス商館のイギリス人を殺害するというアンボイナ事件がおきました。

オランダのアジアにおける植民地と拠点の獲得

オランダ東インド会社は、1628年から翌年1629年にかけて、ジャワ島でマタラム王国がバンテン王国への進出を目指し、2度に渡りバタヴィアに侵攻しますが撃退します。そして、1646年にオランダ東インド会社はマタラム王国と平和協定を締結し、ジャワ島でマタラム王国と独占貿易をすることになります。
17世紀後半になると、ジャワ島のイスラム系王国それぞれ内紛で国力を低下させていく中、1679年にはマタラム王国、1684年にはバンテン王国という二大勢力をバタヴィアのオランダ東インド総督に従属して属国化しました。こうして、17世紀末までにはインドネシア地域ではイギリス人がスマトラの一部に、ポルトガル人がティムール島に残るのみでほとんどの人が姿を消し、オランダ領東インドが形成されていきます。
その他では、1642年台湾を占領し、ゼーランディア城を建設。1641年には、ポルトガル領マラッカを占領。1643年、択捉島と得撫島(現在の北海道)に「コンパニースラント」と命名し領土宣言。1652年、南アフリカのケープに植民地設立。1656年、ポルトガル領セイロンのコロンボを占領しました。

衰退していくオランダ東インド会社

世界で最初の会社としてオランダの繁栄を支えていたオランダ東インド会社でしたが、時代とともに危機を迎えることになります。

オランダ東インド会社の変質

オランダ本国は、1672年の第3次英蘭戦争と、ルイ14世によるオランダ侵略戦争が同時に始まるという大きな危機を迎えました。オランダ本国は、当時の総督ウィレム3世の指揮でその危機をなんとか乗り切りましたが、フランスの脅威が去らないという
情勢で、イギリスと提携に転じウィレム3世がイギリス王を兼ねて、ウィリアム3世となったことがオランダには大きな転機となります。
ウィリアム3世の死後イギリスと分離したオランダは、海洋帝国としての輝きを失い、植民地はオランダ領東インドのみに限られていきます。

オランダ東インド会社の衰退から解散

オランダ東インド会社は、17世紀の成功によって黄金時代を築いていた一方で、衰微の兆しが訪れていました。17世紀半ばの度重なる戦争で国家勢力は消耗し、ヴィレム3世イギリス王として迎えられた後は、イギリス東インド会社に植民地帝国の座を譲り渡しました。以後、イギリスが大英帝国として、海上覇権を確立することになります。1795年にはフランス革命軍により本国を占領されてしまいます。そんな混乱の中1799年12月31日、オランダ東インド会社は解散、海外植民地はフランスと敵対するイギリスに接収されました。

まとめ

オランダ東インド会社は世界で最初の株式会社でしたが、イギリスとフランスによる本国の混乱によって解散することになります。

しかし、オランダ東インド会社はかつてのオランダの栄光を表していたのです。

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