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世界史

中東戦争とはいったいどんな戦争だったの?きっかけや現在の情勢をわかりやすく解説!

中東戦争とは?

中東戦争とは、中東のアラビア半島からエジプトにかけた地域で起きた武力衝突のことを言います。

1948年のイスラエル建国から、イスラエルとアラブ諸国との間で4度にわたって繰り返された大規模な衝突を第一次から第四次の「中東戦争」とよびます。

中東戦争を引き起こしたきっかけとは

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の共通の聖地であるエルサレム。そのエルサレムのあるパレスチナは三者が長い間共存を維持していました。19世紀末にヨーロッパでパレスチナ帰還運動が起き、パレスチナに大勢のユダヤ人が帰還し始め、ついに1948年にはイスラエルを建国。国連分割案という形での独立でしたが、このイスラエルの独立によってアラブ人との間で宗教の違いや格差などによる衝突が増えていきます。

こうして生じた軋轢が4度にわたる中東戦争を引き起こすきっかけとなります。

第一次中東戦争

1947年、国連はパレスチナ分割案決議案を採択。これによりイギリスの委任統治が終了します。

パレスチナの過半数、大都市と肥沃な平野部を手に入れることとなったユダヤ人側はこのユダヤ人に有利な取り決めを歓迎し受け入れを表明。アラブ人側はこの国連決議に反発し受け入れ反対を表明します。

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これまでもくすぶり続けていた両民族の衝突は避けられないものとなっていきパレスチナは内戦状態になっていきます。

そして1948年、イギリスによるパレスチナ統治終了のその日にユダヤ人側はイスラエル建国を宣言しました。しかしその翌日、アラブ諸国がイスラエルに侵攻し第一次中東戦争が勃発します。

二度の休戦を挟み争いは半年以上にわたって続きました。結果はイスラエルの勝利。イスラエルは領土を拡大し、事実上パレスチナを占拠。多くのパレスチナ人が故郷を追われました。

第二次中東戦争

スエズ運河を目指すイスラエルの侵攻ルートの図

エジプトは工業化を目指す政策の一環としてナイル川上流にアスワン・ハイダムの建設を計画しますが東西冷戦の時代にあったアメリカからの資金提供が取りやめになってしまいます。

エジプトのナセル大統領は財源確保のため1956年スエズ運河の国有化を宣言します

スエズ運河の権益を所有していたイギリス・フランスの両国はこれに反発。両国がイスラエルを支援する形でエジプトからのスエズ運河奪回を試みます。

イスラエル軍はわずか1週間でシナイ半島を制圧し、続いてイギリス軍、フランス軍もスエズ地区に侵攻。

しかしこの攻撃にエジプトを支援してきたソ連や、イギリス・フランスが支援を期待していたであろうアメリカも含めた国際的な非難が沸き起こりました。

国連の安全保障理事会ににより停戦が決議され第二次中東戦争は停戦に至ります。エジプトは実質上敗戦でしたが、国連の調停によりスエズ運河の国有化を実現。

この戦争において、イスラエルは高い軍事力の誇示はしたものの外交的に敗北。

一方エジプトは軍事的には敗北したが外交により本来の目的であったスエズ運河国有化を果たしナセル大統領は「アラブ人の誇り」といわれるようになり、アラブ世界においての地位を獲得。

アメリカ・ソ連の両国の介入により撤退を余儀なくされたイギリスは中東地域においての役割は以後ほとんど果たさなくなっていきました。

第三次中東戦争

第二次中東戦争以降、情勢は比較的安定していましたがパレスチナ解放機構(PLO)が結成された1964年ごろから再び緊張が高まりがみられるようになります。

1967年エジプトがシナイ半島に地上波部隊を進出させるなどイスラエルに対して敵対的な動きをみせるなかイスラエル空軍がアラブ各国の空軍基地に壊滅的被害を与えた上で攻撃。

イスラエル軍の一方的な攻撃の前にアラブ側はなすすべなく敗戦。戦争は終結。

イスラエルはエジプト領のシナイ半島、ガザ地区、ヨルダン領の東エルサレムを含むヨルダン川西岸、シリア領のゴラン高原を占領しました。

一方的な進撃は6日という短期間で終わり、「六日戦争」とも呼ばれています。

イスラエルの領土は戦争前と比較し4倍以上に拡大しましたが国連によりこの領土拡大は承認されず、エルサレムがすべてイスラエル領になったことも国際社会からは認められていません。

この争いで多くのパレスチナ人が故郷を追い出され難民となりましたが今も解決することはなく難民キャンプに多くのパレスチナ人が住んでいます。

第二次中東戦争においてエジプトが獲得したスエズ運河も東岸をイスラエルが占領したため1975年に再開されるまでの8年間運航不能となり世界経済に多大なる影響を与えました。

国土の多くを奪われたアラブ諸国側にはイスラエルに対する強い不満は残り、6日で終わったはずの第三次中東戦争が停戦した後もイスラエルとエジプトの間で武力衝突はたびたび起こり、「消耗戦争」と呼ばれています。

第四次中東戦争

ナセル大統領亡き後を引き継いだエジプトのサダト大統領。前戦争でイスラエルに占領された地区の奪還を目指しシリアと共に先制攻撃をしかけ第四次中東戦争が開戦しました。

イスラエル軍は奇襲攻撃に不意を突かれ、アラブ諸国側が優勢に進みます。このころまでにアラブ諸国のほぼ全体が参加する重要な機関となっていたアラブ石油輸出国機構(OAPEC)が親イスラエル諸国への石油の輸出を停止するという戦略を取ります。

イスラエルも反撃に出ましたが開戦から半月後、国連からの要請によって停戦に至ります。

この時の石油戦略により原油価格が大幅に値上がりし、欧米諸国や日本に第一次石油危機、いわゆるオイルショックをもたらしました。

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これによって原油価格に決定的な影響を与えるようになり産油国の経済開発が進展していくこととなりました。

4度の戦争を経て

第四次中東戦争停戦後、イスラエルとアラブ諸国との間で大きな武力衝突は起きていません。

エジプトのサダト大統領はそれまでの路線を変換し1979年にイスラエルとの間で和平条約を締結します。

イスラエルの存在を認めたことによりエジプトはアラブ諸国の中で孤立し、アラブ諸国の対イスラエルの足並みが揃わなくなったことも一因でしょう。

いまだ解決することのない中東問題

第四次中東戦争停戦後、エジプトとイスラエルの間では和平条約が結ばれましたが、イスラエルの敵対勢力はパレスチナ解放機構などに移行し正規軍ではなく非政府組織同士の争いとなっていきました。

戦争、というかたちではないが実質的には中東ではイスラエルとアラブ諸国との対立が今も残されたままとなっており、多くのアラブ諸国は現在もイスラエルとの国交正常化には至っていません。

幾度となく繰り返された争いによって故郷を追われた多くのパレスチナ人たちは今も難民キャンプでの暮らしを強いられているといいます。

中東地区における完全なる和平へはまだまだ遠い道のりなのかもしれません。

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