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日本史 歴史用語

治安維持法は悪法?内容から影響についてわかりやすく解説!

治安維持法と聞くと言論の自由を制限した「悪法」と答える人は多いと思います。
治安維持法が「悪法」となり得た原因は何だったのでしょうか。はたして本当に治安維持法は「悪法」と呼べるのでしょうか。その答えは歴史を紐解いてみれば分かるかもしれません。

治安維持法とは?

治安維持法とは1925年に加藤高明内閣で普通選挙法が成立したと同時に治安維持法も制定された共産党などの社会主義革命をめざす運動を取り締まった法律のことです。

始めは社会主義運動のみでしたが、次第に政府の政策を批判する自由な発言も取り締まりの対象となっていき、また1928年には勅令で最高刑に死刑を加えたことによって政府が反対運動や反戦活動を厳しく弾圧する手段となっていきました。その後1945年に日本の敗北とともに撤廃されることになります。

治安維持法はなぜ制定されたのか

1925年、普通選挙法の成立により満25歳以上のすべての男性に選挙権が与えられ、普通選挙が取り入れられました。

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それまでごく一部の人にしか選挙権が与えられていなかった日本において、この法律の制定は民主主義国家の実現へと向かう大きな一歩となりました。

しかし普通選挙法の成立により、社会主義運動が強まることを政府は恐れたのです。それを取り締まるために政府は、普通選挙法と同年に治安維持法を制定しました。

社会主義とは人々がより平等かつ、公平な社会を目指す動きのことです。一見するとなぜ社会主義を取り締まろうとするのか分かりにくいかもしれませんが、当時の日本では天皇中心の政治が行われていました。天皇制を揺るがす可能性のある社会主義運動は、日本にとって非常に都合が悪いものだったために、取り締まるための法律を制定しました。

そうして生まれたのが治安維持法です。社会主義運動の取り締まりだけに留まらずその内容はあまりに厳しいものでした。

治安維持法の内容

治安維持法の内容を簡単に説明すると以下のようになります。

ポイント

・天皇中心の国家を否定する行動の禁止。
・労働運動や社会主義運動の取り締まり。
・私有財産制(個人が自分の財産を支配する権利を保障すること)の否定を禁止。

治安維持を謳って、国家に反する者・国家に反する可能性のある者を取り締まる体制を整えたのです。
これらの違反者に対しては、およそ10年以下の懲役が科されました。

しかしこの法律の内容は、次第にエスカレートしていくこととなるのです。

初の普通選挙をきっかけに

1928年には第1回目の普通選挙が行われました。
治安維持法による弾圧が行われている中でしたが、資産のない労働者や農民による無産政党からなんと8人も当選したのです。日本共産党の活動も活発化していました。
この結果から政府の予想以上に、社会主義の流れに期待する人が多かったことが分かると思います。

政府は焦りを覚え、緊急勅令により治安維持法の内容を大幅に修正しました。処罰の最高を死刑にまで引き上げることとなったのです。はじめは社会主義者や労働運動を取り締まるためだけの法律でしたが、次第に政府批判を行うものすべてを、手あたり次第処罰するような法律に変わっていきます。

そして実際に反政府的な行動を起こさずとも、“その疑いのある者”も実際に行動を起こしたのと同義と見なされ、処罰の対象となりました。例えば街中で政府を批判するような会話をするだけで、逮捕されるような社会になったのです。
国家の意に反する宗教の信仰を信仰する者や、自由主義すらも処罰の対象となりました。

完全に、治安維持法が暴走する形となったのです。
治安維持法が「稀代の悪法」とイメージされる最たる所以は、このあたりなのではないでしょうか。

その後治安維持法はどうなったか

結論から言うと、治安維持法により10万人以上が検挙、多くの人が拷問を受け、獄中での病死も含めると死者は1000人以上にのぼるとされています。『蟹工船』でご存じの方も多いのではないでしょうか。小説家・小林多喜二も実はこの治安維持法による拷問を受け亡くなっています。

1945年、第二次正解大戦に日本は敗戦しました。その際ポツダム宣言の受諾とともに治安維持法は廃止され、この法律により有罪とされた者が無罪にはなったものの、犠牲者に対して政府からの謝罪や損害賠償はありませんでした。

これに対して人々は治安維持法犠牲者国家賠償請求同盟を立ち上げました。弾圧を受けた犠牲者・遺族に対する謝罪や賠償、法律の制定を求めています。治安維持法に関すること以外に現代の諸問題に関しても扱っており、2020年現在でもその活動は続いています。

悪法の背景には

治安維持法はあまりにも残酷で恐ろしい法律でした。ここまで読み進めていけば誰もがそう感じると思います。
しかし治安維持法の本来の目的は、あくまでも社会主義者を取り締まり、国の混乱を抑えることです。ただそれだけの目的のためだったのに、どうしてあのような暴走を起こしてしまったのでしょうか。

そもそも日本に社会主義の考えが広まった背景には、日本とソ連が国交を結んだことにあります。貿易を円滑に進め、経済的が悪化していた状況を改善するために、日本はソ連と日ソ基本条約を締結しました。

当時のソ連は、社会主義を樹立することとなったロシア革命の真っただ中。大規模なデモやストライキが各地で起こり、ロシア革命は成功。日本をはじめとする資本主義の国々は、その影響が自国に及ぶのを恐れていました。
案の定その影響はソ連だけに留まらず、これまで資本主義を否定していた世界中の人々が、社会主義活動を活発化させていきました。

このままではソ連のような暴動が起き、多くの犠牲者を出すかもしれない。
日本はそれを防ぐために、社会主義者を取り締まることとしました。こういった背景のもとに制定されたのが、治安維持法だったのです。

治安維持法の真の問題点とは

国を守るため必要な法律であった、とはいうもののやはり多くの人の命を奪ったという事実は消えません。
しかし、治安維持法の問題点は果たして多くの人の命を奪った、ということなのでしょうか。

治安維持法の問題点は、「処罰の対象があいまいなまま法律が行使された」ことにあると考えています。
治安維持法の取り締まり対象は社会主義者から、次第に自由主義者や政府の意に反する宗教を信仰したものなど、どんどんその範囲を拡大させていきました。
そうなった原因は、そもそも治安維持法が適用される定義があいまいだったことにあります。

ポイント

・国体(当時でいうと天皇中心の国家)を変革すること
・私有財産制度を否認すること

この2つの文言のみで、具体的な内容までは定義されていませんでした。明確な定義のないまま、法律が適用されるか否かは特別高等警察(主に国体を否定する行動や思想を取り締まる機関)の判断に任されていたために、どんどん適用範囲が拡大されていったのです。
法律の暴走というよりは、もはや特別高等警察の暴走と言い換えたほうが厳密には正しいのかもしれません。

こういった背景から、果たして本当に治安維持法を「悪法」と言えるでしょうか。治安維持法から、あいまいな定義で行使される法がいかに危険かが学べると思います。
法を行使する前に入念に検証し、正しく運用すること。法を正しく理解することが非常に重要なのではないでしょうか。

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