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世界史

内戦上最大!?2000万人が死んだ太平天国の乱とはどんな反乱?簡単にわかりやすく解説!!

みなさんは「太平天国の乱」についてご存知ですか?
なんか宗教の指導者が国家に対して反乱を起こした反乱というイメージですがじつはこの反乱は内戦の中では史上最大の2000万の死者を出した内乱でした。
今回は、14年間で2000万人以上という内戦史上最大の死者を出した「太平天国の乱」を紹介します。

太平天国の乱が起きた時代背景

太平天国の国章

満州人が支配する清

清の領土(Wikipediaより引用)

太平天国の乱は清の時代に起きました。
清とは、漢人の国である「明」を倒してできた満州人の国です。

清は、満州の文化である後ろ髪を三つ編みにし、それ意外を剃りあげるという「辮髪」を強制しました。

そして、それを拒否する漢人を「長髪族」と侮蔑の意を込めて呼んでいました。

アヘン戦争の賠償金

当時清は、「アヘン戦争」の講和条約である「南京条約」に苦しめられていました。

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南京条約は、関税自主権もない不平等条約で、非常に多額の賠償金も払わされていました。
つまり、この頃の清は貧しかったのです。

この二つの時代背景が、太平天国という国が興るための重要なキーとなります。

そもそも太平天国って何?

洪秀全という男

洪秀全

洪秀全は、太平天国の乱を仕掛けたメインパーソンです。

洪秀全は、病で寝込んでいたある日、主神からは妖魔を倒すための宝剣を、キリストからは悪魔を倒す助けを貰うという夢を見ました。
それをきっかけに洪秀全は、自らを主神の息子、そしてキリストの弟だと名乗り、キリスト教の教団である「拝上帝会」を結成します。

そして、この教団はどんどん勢力を増していき、ついには反乱を起こすために国まで作ってしまいました。
この国の国号こそ、この乱の名前にもなっている「太平天国」なのです。

太平天国がやりたいこと

太平天国がやりたいこと、それは満州人を滅ぼすこと、そして平等な社会を作ることの二つです。
まず一つ目に、太平天国は「滅満興漢」というスローガンを掲げていました。
この「満」は満州人で、「漢」は漢人です。

つまりこのスローガンは、「満州人の国家を滅ぼして、漢民族の国家を再び興そう!」という意味なのです。
そして二つ目に、太平天国は「天朝田畝制度」という制度を理想としていました。

この制度で特に重要なのは、満16歳以上の男女全員に平等に土地を与え、必要最低限以外の作物やお金を国に預けて、それを貧しいものにそれを分配するという項目です。

要するに、「足りないところがあるのなら、そこをみんなで補えば平等になるじゃない!」というのがこの制度の概要です。今の社会主義と同じですね。
この制度は実際にはあまり使われず、あくまで理想としていただけだと言われているので、ここは注意が必要です。

ともあれ、この二つの目標は、満州人に不満を持っていて、さらに賠償金のせいで貧しい暮らしをしている当時の人からすればとても魅力的ですよね?
そんな理由もあり、太平天国はどんどん勢力を増していきます。

進軍!太平天国

南京征服

太平天国の乱を起こし、さまざまな地域を征服した 洪秀全は、ついに南京を征服し「天京」と改称して、これを都市にしました。
太平天国は、征服した土地の満州人を徹底的に殺したそうです。 「滅満」の精神に則っていますね。満州人を滅ぼす気マンマンです。
そして、洪秀全は、この天京を拠点に北と西に分かれて進軍しようとします。
南京の北には、そう、清の首都である北京があります。

清の反撃

センゲリンチン

流石に北京を征服されたら後がない清サイド。
ここで清軍の最大戦力「センゲリンチン」を投入します。

センゲリンチンはモンゴルの武将です。 モンゴルといえば圧倒的強さを誇る騎兵ですよね。
訓練されたモンゴル騎兵にとっては、ほとんどを貧民と盗賊で占められていた太平天国軍など相手ではありません。
結局、北京の征服は失敗に終わってしまいます。

曽国藩の登場

曽国藩

北伐軍はセンゲリンチンによって壊滅状態に陥りましたが、太平天国軍はセンゲリンチンは高楼寨の戦いで戦死してしまいます。
しかし北伐をあきらめた太平天国軍はここから一気にじり貧に追い込まれることになります。
西へ進軍した太平天国軍ですが、ここでも強敵が待ち受けていました。
その名も曽国藩です。

曽国藩は、弱い清軍に見切りをつけ、自分で「湘軍」という義勇軍を結成しました。
湘軍は、太平天国軍を倒すことはできなかったものの、彼らを一旦天京まで退かせることができました。

滅亡!さよなら太平天国

外国軍緊急参戦

湘軍との睨み合いがつづく中、太平天国にとって、最悪なことが起こります。
それは、外国軍が参戦してきたことです。
それまで諸外国は、この太平天国の乱を静観していましたが、「アロー戦争」の講和条約である「北京条約」を結んでからは、もっと中国国内の利権を拡大したいと思うようになりました。

そして、アメリカの軍人である「ウォード」が外国人傭兵部隊の「常勝軍」を結成して、太平天国軍と戦いました。
ウォードは途中戦死してしまいますが、イギリス軍人の「ゴードン」が後を継ぎ、湘軍と共に太平天国軍を追い詰めます。
太平天国はじわじわと追い詰められ、他の土地も失い、天京は完全についに包囲されていまいます。

洪秀全の死

完全に包囲されてしまった天京。 するとどのようなことが起こるでしょうか。 そう、食べ物が無くなってしまいます。
天京の中は飢饉が起きてしまいました。でも、もうどうすることもできません。
すると、洪秀全は、なんと雑草を「天露」だと言い出しそれを食べてしまいました。

当然と言うべきか、洪秀全は食あたりを起こしてしまい、そのまま死亡してしまいます。
大反乱を率いたリーダーが、戦死ではなく食あたりで死んでしまうなんて、なんだか意外ですよね。
洪秀全亡き後も必死の抵抗を続けましたが、力及ばず天京は陥落してしまいます。そして、太平天国の国民は、老若男女問わず20万人以上の人が殺されてしまいました。
洪秀全の息子は処刑され各地に残った部下が抵抗を続けるも失敗。こうして太平天国、そして太平天国の乱は終わりを迎えてしまいました。

まとめ

このような悲惨な戦争を引き起こしてしまった洪秀全でしたが、太平天国軍は、厳しい規律をちゃんと守り、軍には珍しく略奪などの行為を一切しなかったという一面もありました。

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