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日本史

大逆事件とはどんな事件?どうして起こったのかをわかりやすく解説

幕藩体制だった江戸時代が終わり、明治時代になると、新政府によって天皇中心の新しい国家体制が築かれていきました。
明治憲法の施行や産業革命など日本がどんどんと変わっていく中、社会主義などの思想や運動が起こりました。
しかし、それらの運動は1910年に起きた大逆事件という出来事によって抑圧されました。ではこの大逆事件とはどのような事件だったのでしょうか。
今回は大逆事件の背景や事柄、その後に与えた影響についてわかりやすく説明していきます。

大逆事件とは

幸徳秋水

大逆事件とは、1910年に、明治天皇の暗殺を計画したとして多くの社会主義者や無政府主義者が逮捕・死刑になった事件です。
社会主義者の幸徳秋水が中心となって行ったことから幸徳事件と呼ぶこともあります。
日清戦争後、労働者階級の悲惨な労働状況に対して反発していた幸徳秋水や片山潜などの社会主義者が、平等な社会を求めるために活動を行っていきました。
そして1900年代前半には社会民主党、日本社会党、平民社などの社会主義団体が結成されます。
これらの思想は政府の政治体制や国家体制に反発したもの、変革しかねないものとして、明治政府から恐れられ、1900年に制定された治安警察法によって、弾圧されていきました。
そして1910年に幸徳秋水や菅野スガらの社会主義者は明治天皇暗殺計画を立てているとして逮捕され、幸徳秋水、菅野スガを含む12名は大逆罪により死刑となってしまいます。
このように社会主義者が徹底的に弾圧されたことで、社会主義運動や無政府運動の動きが下火となりました。

なぜ起きたのか?大逆事件までの経緯

大逆事件は、社会主義運動が高まったこと、そしてそれに対して政府が弾圧を強化させたことで起きました。では社会主義や無政府主義とはどのような思想なのでしょうか。

社会主義・無政府主義とは?

社会主義とは土地やお金、生産手段において不平等をなくそうという思想で、平等な社会を目指すことを目標とした思想のことを言います。
資本主義の中では貧富の差や不平等がどうしても起きてしまいます。それを国家が平等に分配することで解消していこうというものです。
現在でも中国や北朝鮮、ベトナムなどの社会主義国家があります。
それに対して、無政府主義とは、その名の通り、国や政府の支配をなくすことを目標とする思想で、アナーキズムとも呼ばれています。
どちらの思想も明治維新から確立されてきた国家・政府の政治を否定し変革させる危険な思想として弾圧されていきました。

社会主義運動が広まる

日清戦争後に工場での労働が本格的に始まりました。しかし、その労働環境は悲惨なもので、不衛生な環境で、長時間、低賃金で働かされていました。
この労働環境の改善を求めて、工場労働者たちは労働組合を結成し、ストライキなどの労働運動を起こしました。
そして、労働運動と呼応するように、平等な社会を求めた社会主義運動が始まっていきます。
このように社会運動が広がると、幸徳秋水、阿部磯雄、片山潜、木村尚江らが1901(明治343年)に日本初の社会主義政党である社会社民党を結成しました。

治安警察法の成立

労働運動や社会主義運動の広がりに危機感を持った明治政府は、それらの動きを止めるために、1900年に第2次山形有朋内閣が治安警察法を制定し、取り締まりを始めます。
そして、政治的結社に関する規則を規定した治安維持法に、第十七条としてストライキなどの労働運動の禁止が盛り込まれました。
この治安警察法が成立したことで、治安警察法に触れる社会主義団体や、社会主義政党(社会民主党など)は解散させられてしまうのです。

日露戦争前後の社会主義者の動き

1903年に、幸徳秋水や堺利彦らによって平民社が結成されると、戦争反対などを呼びかける『平民新聞』の発行など盛んに活動を行ってきました。
そして、日露戦争が終結し、1906年には、幸徳秋水や片山潜らによって日本社会党が結成されましたが、この日本社会党も政府の弾圧を受け、翌年に解党となってしまいました。
このように、日清戦争後に始まった社会主義運動は、様々な動きを見せているものの、政府の弾圧に苦しめられてきました。
そして、1910年に発生した大逆事件によって、社会主義・無政府主義に対する弾圧が本格化していったのです。

大逆事件の発生とその後

社会主義や無政府主義の弾圧が進む中、ついに大逆事件が発生しました。

大逆事件の発生

1910年の第二次桂太郎内閣の時に大逆事件は発生しました。
1910年5月25日に、無政府主義者の宮下太吉が、爆弾を無許可で製造していたとして捕まります。
そして、この爆弾製造が明治天皇暗殺を計画しているとして、全国にいる数百人もの社会主義者や無政府主義者が逮捕され、明治時代では最大の社会主義弾圧事件となりました。
爆弾を製造で宮下太吉を逮捕したのを機に、社会主義者や無政府主義者を大逆罪で逮捕して一掃しようとし、直接事件には関係していない社会主義者や無政府主義者を全国各地で捕まえていきました。
その中に菅野スガがいて、その旦那である幸徳秋水も首謀者だろうとして捕らえられてしまったのです。
逮捕された数百人のうち、幸徳秋水・菅野スガら26人が天皇暗殺計画の首謀者として大逆罪に問われました。
ちなみに大逆罪とは、皇族に対して危害を加える犯罪のことを言い、明治の憲法において国家転覆をはかる大罪として、これを犯したものは死刑となっていました。
大逆罪で捕まった26名のうち幸徳秋水や菅野スガら12名が死刑となり、残り12名は無期懲役、2名は有期懲役となりました。
大逆を犯したとして逮捕・死刑となったこの事件の真相は明らかにされていませんが、幸徳秋水ら社会主義者のほとんどは冤罪と考えられており、実際に怪しい行動がみられたのは宮下太吉など数名のみだったとされています。

社会主義運動は下火へ

大逆事件が起きてから、社会主義や無政府主義に対する取り締まりはさらに厳しくなっていきました。そのため、社会主義者や無政府主義者はしばらくの間、表立って活動することができなくなり、運動は縮小していきました。
この大逆事件をきっかけに、政治思想犯を取り締まる特別高等警察(特高)という特殊な警察部門が設けられました。特別高等警察は第二次世界大戦まで、非常に強い権限を持ち、危険思想を弾圧していきました。
また、この大逆事件は文学者にも影響を与え、社会主義に関心をもつ人も現れました。例えば、詩人の石川啄木は大逆事件で幸徳秋水が死刑となったことに衝撃を受け、社会主義に傾倒しました。

まとめ

大逆事件は当時の国家に批判的な意見を持つ社会主義者や無政府主義者を取り締まり、処罰するために、政府がでっちあげた出来事だとされています。
実際、大逆事件後、社会主義者や無政府主義者は活発な活動ができなくなり、文学の道に進む思想家も中にはいました。
しかしながら、直接的な関係はありませんが、「大正デモクラシー」が起こるきっかけの1つとなったことと考えると、この事件は国を変革させないために弾圧するために行なったつもりが、結果的に日本を変えてしまったといえるでしょう。

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