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政治用語 日本史

所得倍増計画ってどんな計画?目的や内容をわかりやすく解説!

『10年間で国民の所得を2倍にする』

今ではそんな計画は夢物語だとして見向きもされないと思いますが、日本が高度経済成長を迎えていた1960年代の日本にはこの計画を行っていました。そしてこの時に起こった爆発的な成長が今の日本に押し上げたともいえるほど重要な意義をもたらすことになります。

今回はそんな所得倍増計画について簡単にわかりやすく解説していきます。

所得倍増計画とは?

第一次池田勇人内閣の顔ぶれ(一番前の人が池田勇人)

所得倍増計画とは1960年に内閣総理大臣に就任した池田勇人が打ち出した長期経済計画のことです。

この計画の目的としては、「国民の生活水準の向上」が掲げられ、1961年から1970年までの10年間で、国民総生産を倍増させることを具体的な数値目標として設定しました。

この計画を立案したのは下村治という経済学者で、池田内閣での彼の役割は高度経済成長の企画の立案を担当することでした。

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計画に至る経緯

今の時代であれば、経済成長を目指すのは当たり前だと思うかもしれませんが、この時代では、経済はあくまで政治の一部でしかありませんでした。

実際に、池田首相が誕生するまで経済政策を全面的に押し出す首相は、ほとんどいませんでした。

当時は、「不況でもないのに経済のことばかり考えている首相はありえない。政治家であれば政治さえしっかりしていれば良い」という考えが当たり前でした。

しかし、池田首相はあえて政治より経済という自分の得意分野で勝負することを選びました。この頃の日本は、過去に内閣総理大臣を務めた吉田茂や岸信介によって、軍事コストのかからない国となっていました。

池田首相はこの利点を活かすために、軍事費をできる限り節約することで、経済を成長させようと考えました。

計画を達成するための課題

所得倍増計画を実現するために、以下の5項目が計画の課題として掲げられました。

ポイント

<所得倍増計画の課題>

(1) 社会資本の充実

(2) 産業構造の高度化

(3) 貿易と国際経済協力の促進

(4) 人的能力の向上と科学技術の振興

(5) 二重構造の緩和と社会的安定の確保

 社会資本の充実

池田首相は経済を成長させるためには、交通面を整備する必要があると考えました。その理由は、1964年に東京オリンピックの開催を控えていたためでした。

そのため、東京と新大阪を結ぶ東海道新幹線の開通や首都高速道路の建設を実施しました。

産業構造の高度化

社会資本を整備するためには、鉄鋼・車両・船舶といった重量のあるものを製造する必要がありました。

この時代の日本は、繊維品・食品といった軽量のものを主に製造していましたが、徐々に生産性の高い重化学工業へと移行させていきました。

そして、社会資本の整備を支える新たな工業地帯として太平洋ベルトができました。

この工業化は主に沿岸部で進められましたが、その大きな理由は原料がすべて輸入品であり、船で運んだ方が経済的であったためでした。

貿易と国際経済協力の促進

池田首相は、貿易を自由化することで日本の企業を海外との競争へ向かわせました。そうすることで、他国の技術を学び、日本の技術力を向上させようとしました。

また、今までは海外へ行くには商用や国の予算を使用した留学などに限られていましたが、この計画により、海外への渡航が自由になりました。

人的能力の向上と科学技術の振興

白黒テレビ

社会資本の整備を行うためには、それに見合う労働者が必要でした。この時代では、そういった理由から工業系技術者の育成が盛んになりました。

日本政府は、教育の場を増設することで労働者個人の能力を高めようとしました。

その結果、高校進学率は上昇し、高校の生徒数全体が1960年から1970年にかけて31%増加する中、工業系学科の生徒数はなんと75%という大幅な増加となりました。

また、大学教育についても同様の影響があり、学生数全体の増加率は124%増加し、工学部の学生数の増加率は206%に達しました。

科学技術の振興としては三種の神器(白黒テレビ・電気冷蔵庫・洗濯機)が驚異的な勢いで普及していきました。また、1960年代半ばには技術の進歩により、新三種の神器(カラーテレビ・クーラー・自動車 )が登場しました。

その中では、東京オリンピックの影響もあり、カラーテレビが一番普及するのが早く、一番遅かったのがクーラーとなりました。

二重構造の緩和と社会的安定の確保

経済が成長するにあたって、新しい技術が登場する一方、古い技術が失われる恐れがあるため、その技術者が失業することが懸念されました。

そのため、中小企業の生産性を高めることで企業間の格差をなくし、社会の安定を確保することを目指しました。

また、ケインズ政策を行うことで完全雇用の達成を実現させようとしました。

(1)~(5)の課題に取り組んだ結果、日本はわずか4年で当初の目標としていた国民総生産の2倍増を達成し、最終的には10年で4倍増とすることに成功しました。

また、1968年には西ドイツ(当時)を追い越してGNP(国民総生産)が世界第2位にとなり、アメリカに次ぐ経済大国へと成長しました。

経済成長の裏で発生した問題

経済が成長した一方で、以下のような3つの問題も発生しました。

過密と過疎

社会資本の充実を実現するために、多くの人々が地方から都市部へ人が集中することとなりました(都市部の過密化)。

その影響により、地方からは人がいなくなることとなりました(地方の過疎化)。

物価の上昇

経済成長に伴い、仕事の賃金が上がったことで、製品の生産コストも上がりました。

その結果として、物価についても上昇することになりました。

公害問題

産業では、目覚ましい発展を遂げることができましたが、環境においては、大気汚染や自然破壊などにより悪影響を及ぼすこととなりました。代表的な例としては、以下の4つが挙げられます。

ポイント

<四大公害病>

① 水俣病

② 新潟水俣病(第二水俣病)

③ 四日市ぜんそく

④ イタイイタイ病

① 水俣病

熊本県水俣市で発生した水銀に接触することによって引き起こる中毒症状のことです。

発生した原因は、同地の工場から有害物質であるメチル水銀をそのまま排水したためでした。

② 新潟水俣病(第二水俣病)

新潟県阿賀野川下流域で患者が発生した水俣病のことです。症状は水俣病と同じです。

③ 四日市ぜんそく

三重県四日市市で発生したぜんそくのことです。

発生した原因は、経済成長期に石炭に代わるエネルギーとして石油が注目され、その際に設置された石油コンビナートから排出された煙に含まれた亜硫酸ガスを吸ったため起こりました。

④ イタイイタイ病

富山県の神通川流域で発生した骨の強度が弱くなる症状のことです。

発生した原因は、鉱業所が排出していたカドミウムが土壌を汚染し、そこで栽培された野菜やお米を食べたためでした。

この問題が表面化したのは、池田首相が亡くなった後であるため、本人はそれを知らずにこの世を去ることとなりました。

また、公害や環境問題を対処するため、政府は1971年に環境庁(現環境省)、1974年に国土庁(現国土交通省)を設置しました。

現代に繋がること

所得倍増計画が実現されなければ、日本が今日まで先進国として成長することはなかったのかもしれません。

しかし、経済が成長した裏で環境問題が表面化することにもなりました。

物事にはメリットとデメリットがありますが、メリットがデメリットを上回る、またはデメリットがほとんどない方法について、現代に生きる私たちは考え続ける必要があるのかもしれません。

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