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政治用語

太陽政策ってどんな政策?内容から弱腰外交と呼ばれる理由についてわかりやすく解説!

2020年10月25日

いまだ緊迫状態が続いている朝鮮半島。融和ムードになったと思ったらいつの間にか再び緊迫ムードになるなど油断を許すことはできません。

しかし一時期そんな融和ムードが最高潮に達したこともあったのです。

今回はそんな太陽政策についてわかりやすく解説したいと思います。

そもそも太陽政策とは?

太陽政策とは大韓民国(韓国)が朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に対して採用していた外交政策で、金大中・盧武鉉政権下で、1998年2月25日から2008年2月24日までのあいだ続けられました。
金大中大統領によるとこの政策の狙いは、韓国に対する北朝鮮の態度を軟化させることで、それは、武力による威嚇よりも贈り物(人道援助、経済援助、文化交流、観光事業の深化など)を通じて、敵からの脅威を防ごうという韓国の伝統的態度に根ざしたものだということです。因みに名称それ自体は、イソップの有名な寓話、『北風と太陽』に由来します。ちなみに金元大統領は南北首脳会談などが評価され、ノーベル平和賞を受賞しています。

それ以前から経済交流などを通じた南北朝鮮の平和的統一は進められていたのですが(朴正煕政権の「先建設後統一政策」、盧泰愚政権の「北方政策」)、この太陽政策ではその規模、内容ともに大きく拡大していくことになります。

1994年、金日成朝鮮民主主義人民共和国主席が死去のため実現していなかった南北首脳会談が1948年の分断以来初めて実現し、6.15南北共同宣言が締結され、金剛山観光事業、開城工業団地事業、京義線と東海線の鉄道・道路連結事業という対北朝鮮三大経済協力事業も進められ、また、離散家族再会事業なども行われました。

そして一説では数百人に上ると言われる北朝鮮による韓国人拉致を不問に付すなどの措置もとられました。

次期盧武鉉政権下でもこうした関与政策、包容政策は継続され、加えて廬武鉉大統領は北朝鮮による核開発、ミサイル開発にまで理解を示しました。

太陽政策の終焉

しかし韓国側のそうした配慮にも拘らず、北朝鮮は2006年7月5日にミサイル発射実験を強行し、同10月9日には地下核実験を強行しました。
米韓・日韓のあいだの溝も深まるばかりで、やがて太陽政策は諸外国の合意の下で行なわれている北朝鮮経済制裁への妨害行為だと看做されるようになっていきます。

またこの政策は様々な問題を含む北朝鮮の体制の維持に繋がるばかりで、人道援助、経済援助といっても同国の人々の手には届いていないとする批判が、アメリカ合衆国、日本、中華人民共和国(中国)などの反北団体や人権団体、さらには同国からの脱北者らによっても繰り返されることになっていきます。

個々の事業についても、例えば、三大経済協力事業の柱の一つだった金剛山観光事業で、2008年7月11日、韓国人観光客の射殺事件が発生してしまい、関係者らの証言が一致せず、さらに調査をめぐっても韓国、北朝鮮双方の対立が深まり、まず韓国側が金剛山へのツアーを停止、それに応じて北朝鮮側も韓国からの観光客受け入れを停止しました。またこの金剛山には離散家族の面会場所も設けられているのですが、新しい面会場の建設が2006年のミサイル発射後の混乱で中止になり、2018年の面会場所に使われた韓国側の施設も、2019年、その撤去が決まりました。

もう一つの大きな柱である開城工業団地事業についても、金剛山の事業と同様、北朝鮮への国際的非難が高まるたびに同事業への非難も高まり、さらに李明博政権発足後は、北朝鮮側もこの施設をいわゆる瀬戸際外交のカードの一つとして多用し、2020年6月16日、同施設内の南北共同連絡事務所が爆破解体される映像などが、テレビのニュースを賑わせれたりもしました。

全体主義国家との外交

正式な国名に民主主義という言葉こそ入っていますが、多くの国々の人々にとって、残念なことに北朝鮮は、全体主義国家だと認識されていることでしょう。未だに社会主義体制をとっていますし、朝鮮労働党による一党独裁体制もとっています。また様々な人権問題を抱えてもいます。もっとも日本を含め、アメリカ合衆国、フランス、そして韓国などは、そもそも北朝鮮を国家として承認していないのですが、とはいえ1991年にお隣りの韓国と同時に、国際連合への加盟を認められています。

ところでそうした全体主義国家との外交に関しては、しばしば引き合いに出される先例があります。第一次、第二次の両世界大戦戦間期末期のイギリス首相、ネヴィル・チェンバレン(第60代、任期、1937年5月28日‐1940年5月10日)のドイツに対する宥和政策がそれで、1938年9月29日付けで署名されたミュンヘン協定で、チェンバレンは、あのヒトラーのドイツによるチェコスロバキアのズデーテン地方併合の要求を容認してしまうのです。

そしてそれがナチス・ドイツの増長を招き、さらにはホロコーストへと続く人類史上最大の悲劇を引き起こしてしまったというわけです。

この宥和政策の宥和という言葉は、現在では一応宥和と訳されていますが、英語の原語appeasementは外交の場では慰撫、鎮静といった本来の意味を離れ、弱腰外交、さらには土下座外交という意味にまでなってしまっているのだそうです。

しかし、チェンバレンの宥和政策はイギリスがレーダー技術などといった防空施設の準備のための時間稼ぎとなったという理由でそれがようやく学術的にも認められ始められるようになりました。

では、韓国の太陽政策については、どうなのでしょうか? 再評価される日は来るのでしょうか?

太陽政策のその後

金大中大統領によればそもそも、北朝鮮側の態度が軟化しない原因は、諸外国による同国への敵視政策にあるわけですが、危険な国家への宥和政策として太陽政策を非難する側からすれば、同政策には効果がない、それどころか悪い体制に生き延びる手段を与えてしまっているということになるわけです。

続く盧武鉉大統領の時代にはさらに、同政策に対する国内、国外の非難は高まり、政権末期にはレームダック(死に体)と表現される状態にまでなってしまいました。また盧大統領は北朝鮮への宥和政策を続ける一方、アメリカ合衆国、日本などには非常に強硬な態度で臨み、その反米的な姿勢から特に、次期政権を担う反共の野党ハンナラ党から、「極左」という非難まで浴びることになってしまいました。さらに大統領退任後は側近、親族らの逮捕が相次ぎ、元大統領自身も検察による聴取を受けるまでになってしまい、2009年5月23日、自宅の裏山の岩からの投身自殺、という結果になってしまいます。

ところがこの廬武鉉元大統領、2017年の韓国の世論調査で、歴代大統領の中で好感度第1位に選ばれています。そして金大中元大統領も好感度が高いのですが、盧元大統領の人気が高過ぎるために金元大統領のほうは若干食われてしまっている、といった感じなようなのです。これには太陽政策への再評価の意味も含まれているのでしょうか?

現職の文在寅大統領も北朝鮮への歩み寄りの姿勢を続けているのですが、とはいえ、そのことがまた、国際的非難の的にもなってしまっています。実は先に述べたチェンバレン外交の再評価に関しても、そうした再評価を報告しているホームページ、ブログなどの幾つかで、チェンバレンを文などと一緒にするな、あちらは正真正銘の弱腰外交、土下座外交だというようなことまで書かれてしまっているのですが、果たして歴史による判定は、どのように下されるのでしょう?

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