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世界史

どうしてソ連は崩壊したの?原因や崩壊についてわりやすくまとめて解説!

2020年5月25日

かつてソビエト連邦という国がありましたね。正式名称はソビエト社会主義共和国連邦。
共産圏、社会主義陣営、東側の中心として、自由世界、資本主義陣営、西側の中心であるアメリカ合衆国と一時は肩を並べていました。
そんな超大国がなぜ、どのように崩壊したのでしょうか。今回はソ連の崩壊について解説します。

ペレストロイカに至るまで

ソ連では「共産主義」というイデオロギーを掲げた官僚制独裁権力が国家の中枢に居座り、人々の経済活動への意欲を失わせました。
その結果、経済は1970年代初めから停滞し始め、1979~1982年には危機に陥りました。
それによって西側に大きくおくれをとったという焦りが芽生え、それまで敵視してきた西側に対する脅威の感覚が減ったこともあり、無駄な軍事力を削り,西側との関係改善を図りながら経済を立て直すという方向が求められました。
そんな中、1985年、ゴルバチョフが共産党書記長に就任します。彼はペレストロイカという改革を唱えて、ソ連社会の再生を計りました。ちなみに、ペレストロイカは「建て直し」という意味です。
その中心は経済のメカニズムの根底からの改革ですが、単に経済だけでなく、グラスノスチと呼ばれる情報公開制や意見の多元主義、政治的民主化、スターリン批判の再開など、政治、社会、文化の幅広い側面に及んでいます。
これはまさにソ連を一から建て直すかのような大改革ですね!

ペレストロイカの結果

改革のそもそもの対象である経済面では、市場経済への移行を目指したのですが、かえって混乱しインフレが進み,ルーブルの価値は下落し物不足が激しくなってしまいまい、当然人々の不満が高まりました。

政治面では、グラスノスチによって、これまで隠されていた事実が次々に明らかになるとともに、
マスコミ、国民の間で言論と出版の自由化が進み、政府・党、軍、国家保安委員会(KGB)などに対する激しい批判が起こり、さまざまな理念を掲げる政治グループが結成されました。
さらに、1980年代の末ごろからソ連を構成するそれぞれの共和国や民族におけるナショナリズムや民族主義が一気に噴き出し、いろいろな地域で民族紛争が起こり、また主権を要求し、連邦からの分離・独立の動きが活発になりました。
「ソ連にいるのはもう嫌だ! 自分たちは○○人だ!自分たちの事は自分たちで決めるんだ! ソ連から出るんだ!」という声が高まったということですね。
実際に、バルト三国の独立運動は1991年に実を結び、三国の独立は国際的に承認されました。

外交面では、冷戦的対立の解消に乗り出したほか、社会主義共同体全体の利益は個々の国家主権に優越する、というブレジネフ・ドクトリンを否定したのですが、それに経済的な苦しさが加わって、ソ連はもう東ヨーロッパの国々の内政に手を突っ込むことができなくなりました。
そんな中、東ヨーロッパでは1989年までにハンガリー・ポーランド・チェコスロバキア・ブルガリア・ルーマニアなどで「国を変えよう!」という運動が次々に起こりました。
その結果、社会主義の官僚的統制をやめ、市場経済と体制の民主化に向かって行きます。
このような東ヨーロッパの激動は、人口の西側への流出に悩む東ドイツにも及び、1989年11月、「ベルリンの壁」が撤去されました。コンクリートの壁の上に晴れやかな笑顔をした大勢の人々が立ち、中には壁を壊している人もいる、というような映像を一度は見たことがあるでしょう。

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「壁」の撤去はヨーロッパにおいて、冷戦の終結を象徴する出来事で、その年の12月、マルタ島で会見したアメリカのブッシュ大統領とゴルバチョフ書記長は「冷戦の終結」を宣言しました。このとき、世界中の人たちが安心したんじゃないでしょうか。
そうです。このように、社会主義の枠内での改革だったはずのペレストロイカはうまくいかなかっただけでなく、その結果,ソ連社会主義体制そのものへの批判を招き、ソ連の存立を揺るがすようになって、1991年の崩壊に繋がってしまうんです。

崩壊までの流れ

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ゴルバチョフは1990年、ソ連の大統領職を置き、自ら大統領になりました。
彼は連邦とそれぞれの共和国との関係を正そうと新連邦条約を作って、1991年8月20日に調印する運びになっていました。
ところが、その前日、改革に反対する保守派がクーデターを起こし、ゴルバチョフはクリミア半島に軟禁されてしまいました。
ロシア共和国大統領エリツィンたちはクーデターに激しく抵抗し、多くの市民や軍隊もエリツィンに同調しました
クーデターは僅か3日で失敗し、ゴルバチョフは解任され党書記長を辞任しました。クーデター関係者や保守派などは逮捕され、中央委員会やKGBなどの党機関は解散させられました。
こうして、共産主義の本拠地と見られてきたソ連共産党は一挙に壊滅して、全世界を驚かせました。
続いて1991年12月、ロシア共和国・ウクライナ共和国・ベラルーシ共和国の代表は独立国家共同体の創設を決議しました。
そしてついに、ソ連は崩壊したのです。

ソ連の崩壊は世界に衝撃を与えた

アメリカと渡り合う超大国が崩壊するなんて、当時は世界中に物凄く大きな衝撃が走ったでしょうね。
また、崩壊した原因が、ソ連を良くするはずの改革にあったとは、何とも皮肉。

ただ、もちろんソ連を評価するわけではありませんが、新自由主義が猛威を振るっている昨今にあっては、本来の社会主義には見直すべき良い点があると考えます。何事もバランスが大事だということですね。

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