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世界史

やっぱり外交は強気で行った方がいいんだよね【ラインラント進駐からみる国際政治】

2020年2月27日

何事にもやっぱり舐められるようではいけません。時にはガツンと言うべきなんですけどなかなか度胸がなくてタイミングを逃してしまうなんでことはよくあることですね。

しかし、外交や国際政治となればその一瞬の甘えがとんでもない未来を引き起こすことになるのはザラです。

今回は甘えは禁物ということを1936年に起こったラインラント進駐がどの結果を招いてしまったのかを見ながら考えていきましょう。

ラインラント進駐とは?

今回の舞台となるラインラントとはドイツのライン川両岸地帯のことを指し、炭田で有名なルール地方などを始め、様々な工業都市が立ち並ぶヨーロッパでも有数の工業地帯でもありました。

また、古くからの商業都市が集中している地域であり、ドイツからしたらここの工業地帯のおかげでドイツの経済や工業は回っているといっても過言ではないほどの経済的価値を持つ地域となっていたのです。

軍を置けなくなっちゃったドイツ軍

このようにラインラントはドイツの重要地域であったのですが、1914年から始まった第一次世界大戦にドイツが敗北してからこのラインラントはフランスによって西側が15年占領されることが決定。さらには辛うじてドイツ領として残ったライン川の東側も50キロは武装禁止地帯(非武装地帯)として軍をおけなくなってしまったのです。

また、1925年のロカルノ条約ではイギリス・フランス・ドイツはラインラントの非武装を確認し、これによってラインラントに軍を進駐することは完全にできなくなってしまったのでした。

ナチス党の政権獲得

こうしてドイツは踏んだり蹴ったりと言っても良いような状態となってしまいましたが、過度に踏みつけるととんでもない状況になるもので、ドイツは混乱の最中急激に台頭し始めてきたナチス党が1933年に政権を獲得。そのままいっきに独裁を推し進めていきそして1935年にはついにドイツ軍の再軍備宣言がなされたのです。ヒトラーはこのラインラントの非武装を決めた条約であるヴェルサイユ条約やロカルノ条約を破棄するべきだとしており、ここから一気にヒトラーはヴェルサイユ条約を次々と違反していくようになります。

そして、その最大の大仕上げがラインラントへの進駐だったのです。

ヒトラーの大勝負

ヒトラーは1936年中にラインラントへの進駐を決心。しかし、ラインラントの進駐はヒトラーにとっては博打以外の何者でもない行為でもあったのです。

まず、再軍備をしても1年ちょっとじゃフランスに勝つほどの軍備を整えることはできません。さらにはヴェルサイユ条約を違反したという大義名分をイギリスやフランスに与えることになり、最悪フランスが何かしらの反撃を行った場合ヒトラーの権威は地に堕ちることになります。

後にヒトラーはこのラインラント進駐のことを「ラインラントへ兵を進めた後の48時間は私の人生で最も不安なときであった。 もし、フランス軍がラインラントに進軍してきたら貧弱な軍備のドイツ軍部隊は反撃できずに尻尾を巻いて逃げ出さなければいけなかった。」と回想しており、さらにハインツ・グデーリアン将軍は、「もし、1936年にフランス軍がラインラントに進軍すれば、我々は敗北し、ヒトラーは失脚していただろう。」とこのラインラント進駐が失敗に終わったらヒトラーが失脚して政界から消えることもありえたと話しているのです。

しかし、ラインラント進駐の結果はフランスの黙認により終結。このラインラント進駐を行ったことによってヴェルサイユ条約とロカルノ条約は完全に効力を失ったものと同意義となり、ヒトラーの領土拡張の意欲は暴走を見せるようになっていったのでした。

どうしてフランスは動かなかったのか?

ドイツのラインラント進駐を黙認したフランス。この当時はフランス軍の方が圧倒的に優勢だったため普通に考えたら「脅しをかけるのが普通なのでは?」と思いがちなんですが、この時のフランスは軟弱も軟弱。

なにせ第一次世界大戦の時にどえらい犠牲者を叩き出していますから国内は平和団体が溢れかえっており、さらには軍さえも守りに徹するべきだとしてこのドイツの進駐を容認するべきだという意見が出るようになっていったのです。

結局、フランスはこのドイツの行動を『抗議する』という形で留めており、実質的には黙認という形で終わったのでした。

その後のドイツとフランスの行動はもしかしたら有名かもしれません。

ドイツはその後味を占めたのかオーストリア、チェコスロバキアと領土を広げていき、最終的には第二次世界大戦を引き起こすことになります。

もし、フランスが平和団体や軍の消極的な姿勢を無視してドイツに強硬的なな姿勢を見せていれば歴史は大きく変わっていたのかもしれません。

ラインラント進駐から見る外交の大切さ

ラインラントはもう84年前のことですから単なる過去の話と思うかもしれませんが、ラインラント進駐のフランスの対応とその後のドイツの動きを見てみるとやはり時に強硬的な手段を使って脅しをかけるのは大切ということがわかります。

軟弱な姿を見せるのは外交として考えるとかなり不利な状況に追い込まれることをこのラインラント進駐をみて学びとらなければならないかもしれませんね。

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