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世界史 政治用語

冷戦ってどうして起こったの?原因から代理戦争についてわかりやすく解説!

2020年11月5日

突然ですが、皆さんは「冷戦」と言われて、ピン!と反応できますか?冷戦というとアメリカ対ソ連(ソビエト連邦)の戦争、と思う人は多いのではないでしょうか。また、なんとなくソ連とセットで、もう終わったものとも考えるかもしれません。

しかし冷戦は、本当は国同士の争いではなく、また、まだ終わっていないとも言えるのです。どういうことか解説します。

そもそも、冷戦とは?

冷戦は、英語で表記すると「Cold War:冷たい戦争」と言われています。
この戦争は1945年から1989年まで続き、対立したのは、アメリカ・イギリス・フランスなどの「資本主義国家陣営」とソ連・中華人民共和国などの「共産主義国家陣営」でした。
一般的に、私たちは、戦争と言われると、爆弾やミサイルなどの大型兵器を使って、敵国を攻めるといった印象を受けるはずです。
そのため、(冷戦)冷たい戦争と言われると、何か違和感を覚える方もいるでしょう。
じつは、この冷戦という戦争は先述したような武力による戦争ではなく、直接的な戦闘はしない戦争という意味を持っています。

冷戦の歴史

まず、冷戦が起きた歴史を見て行きましょう。それには、第二次世界大戦までさかのぼる必要があります。

第二次世界大戦では、日本はドイツ・イタリアと組み、アメリカやイギリスと戦っていました。アメリカやイギリスの陣営には、フランスやソ連もいました。

そして終戦間際の1945年2月にアメリカのルーズベルト大統領、イギリスのチャーチル首相、ソ連のスターリン首相がソ連のヤルタ近郊に集まり首脳会談が行われました。
会談の内容は戦後のヨーロッパの復興についてや、領土問題についてなど戦勝国の利害調整が主でした。
また、この会談に出席していたメンバーは、アメリカからはフランクリン・ルーズベルト大統領、イギリスからはチャーチル首相、ソ連からスターリンが参加しました。

そして、この会談の一番のテーマとなったのが「各国の領土決め」です。

この会談の結果、ソ連はヨーロッパの東側の国々であるポーランド・ルーマニア・ブルガリア・ハンガリーなどをソ連の傘下に置くことが決まりました。
さらにドイツは、アメリカ・イギリス・フランス・ソ連の四か国で分割占領することが決まりました。
こうしてヨーロッパの領土が決定されたのですが、しかし、会談直後の4月ルーズベルト大統領は急死してしまい、副大統領のトルーマンが新しい大統領になりました。

初めは、トルーマン大統領は、ソ連に対して敵視している様子はありませんでしたが、東ヨーロッパに共産主義国が続々と誕生している様子を見て、「このままでは、ヨーロッパ全土が共産主義国になってしまう…。」と危機感を覚え始めます。
こうして、トルーマン大統領はイギリスとフランスなどと手を組み、ソ連に対抗しようと動き始めます。これが、冷戦の始まりです。

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冷戦を激化したマーシャル・プラン

戦争が終結した後、アメリカは第二次世界大戦によってボロボロになったイギリスやフランスに、莫大な資金支援を始めます。これを当時のアメリカの国務長官の名から、「マーシャル・プラン」と呼びます。

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さて、ここで考えたいのは「なぜ、イギリスやフランスに莫大な資金援助をしたのか?」ということです。当時、ソ連はイギリスやフランスなどの国々も、「自分の領土にしよう」という動きがありました。

そこで、アメリカは先手を取り、そういった国々に資金援助という形を取ることで、自分たちの味方につけようとしたのです。
結果として、イギリス・フランスなどの西ヨーロッパは、アメリカとの連携を強化することになります。

また、このアメリカの動きに対して、ソ連ではCOMECON(コメコン)という経済協力体制を打ち出し、東ヨーロッパの共産主義国を味方につけていくことになります。

冷戦をさらに激化させた核兵器の開発

初めは、どちらの陣営も「マーシャル・プラン」や「コメコン」といった「経済的な対立」をしていました。
しかし、対立はエスカレートし、次は「軍事的な対立」が起きてしまいます。

まず、ソ連側がアメリカに対抗しようと、核兵器の開発を始めました。
そこで、アメリカ率いる西側陣営は1949年にNATO(北大西洋条約機構)という軍事同盟を作って、東側陣営への包囲を強力にしていきます。

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一方で、ソ連側も東側陣営に対抗しようと、1955年にWTO(ワルシャワ条約機構)という軍事同盟で結束を強化していくことになります。
そしてこの軍事同盟の枠組みの中で「ソ連vsアメリカ」と直接対決をせず、他の国々との戦争の支援をすることで、戦争をする代理戦争が起こることになるのです。

冷戦の主な出来事

冷戦はソ連とアメリカが直接戦争を起こすことはなかったのですが、冷戦の最中には資本主義国家と社会主義国家の戦争が起こっていました。

つまり冷戦とは、原因を見ればアメリカ対ソ連ですが、大きく見ると資本主義国家対共産主義国家の陣取り合戦のようなものなんですね。

次は冷戦に起こった重要な出来事を見ていきましょう。

第二次国共内戦

冷戦の最初の衝突は第二次世界大戦の少し後の中国で起きました。中国は現在は共産主義の共産党が統治していますね。しかし当時は、国民党という資本主義の団体と、共産主義の共産党が、政権を巡って争っていました。

共産党は同じ共産主義のソ連の支援を受けていました。そして1949年に、共産党は国民党を中国から台湾へ追い出してしまいました。

こうして、ソ連と中国という二つの大きな国が、共産主義国家として世界にあらわれたのです。

朝鮮戦争

第二次世界大戦後、朝鮮半島は北緯38度線で南北に分断されて、38度線以北に社会主義国家の朝鮮民主主義人民共和国、38度線より南には資本主義国家の大韓民国という状態でした。

1950年6月、金日成率いる北朝鮮が突如南北の国境である38度線を越えて韓国に侵攻しました。
北朝鮮には中国とソ連が支援を行い、韓国にはアメリカを中心とする国連軍が支援をする形となり、朝鮮半島において間接的に米ソが戦う事態になった戦争が朝鮮戦争です。

1953年に休戦協定が成立したままであり、現在に至るまで完全な和平には至っていません。

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キューバ危機

1962年ソ連は密かにアメリカの隣国であるキューバに核ミサイル基地の建設を進めていました。
偵察飛行でそれを発見したアメリカは直ちにキューバを海上封鎖し、ミサイル基地の撤去を迫ります。

当時のケネディ大統領とフルシチョフ第一書記は書簡でやり取りし、最終的にソ連が核ミサイルを撤去して事なきを得ましたが、人類が全面核戦争の危機に直面した、冷戦時代で一番緊張が走った事件でした。

この事件をきっかけに米ソの首相間の直通電話(ホットライン)が設置され、最悪の選択肢である核兵器の使用など不測の事態に備える態勢が形作られていきました。

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ベトナム戦争

第二次世界大戦中ベトナム一帯は日本軍によって占領されていました。
1945年日本軍が敗戦により撤退すると、ホー・チ・ミンは北ベトナムにベトナム民主共和国を建国しインドシナ戦争に勝利します。

しかしベトナム全土がスムーズに統一されたわけではなく、以後ベトナムは南北に分かれて統治をめぐって争うこととなります。

1961年アメリカのケネディ大統領は南ベトナムに援軍を派遣し介入の姿勢を強めていきます。

1964年にはソ連が北ベトナムへの軍事支援を表明し、ここでも資本・自由主義陣営と社会・共産主義陣営との対立、米ソの代理戦争という色合いが濃くなっていきました。

戦争は激化の一途をたどり、その様子がメディアによって毎日のように発信されることで世の中に反戦を求める声が次第に高まっていきます。
そして1973年アメリカはついに南ベトナムからの撤退を決め、それに伴い弱体化していった南ベトナムの首都サイゴンが陥落したことにより、長く続いたベトナム戦争は1975年に終結しました。

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冷戦の象徴「ベルリンの壁」

東ドイツによるベルリンの壁の建設(Wikipediaより引用)

1945年に敗戦を迎えたドイツは東側と西側に分かれていました。
注目したいのは、「どちら側のドイツの方が、経済的に豊かだったのか?」ということです。じつは、西ドイツではアデナウアー首相の下で資本主義国家として経済成長を遂げていました。

しかし一方で、東ドイツはソ連の影響を受け社会主義に染まっていきました。一応東ドイツは「社会主義国の優等生」といわれていましたが、結果的にドイツの東側と西側とでは大きな経済格差が生じてしまいました。

そのため、少しでもより良い暮らしを求めようとする人々が生まれ、西側のドイツへ移ろうとする人が後をたちませんでした。そこで、危機感を覚えた東ドイツは、1961年8月に一夜にして「ベルリンの壁」を建設しました。

この「ベルリンの壁」が、冷戦の象徴として今も語り継がれています。

キューバ危機とデタント

スタ-リンの死去や朝鮮戦争の休戦、更にはオ-ストリアの永世中立宣言による東西緩衝地帯の形成とフルシチョフの米国訪問などが、一時冷戦の雪解けム-ドを演出します。

しかし東西両陣営は、互いに相手を仮想敵国と想定し、軍備拡張に走るようになり、その象徴的なものが、核兵器開発と宇宙開発競争でした。そんな中、1962年のキュ-バ危機は、米ソ間の緊張が高まり、全面核戦争寸前まで至った一連の出来事でありました。

キュ-バ危機の教訓から米ソ両国共に、核戦争を回避するために緊張緩和のための外交活動を開始するようになります。結果、核実験禁止条約やホットライン協定などが締結されましたが、これに反対する国もあり、両陣営共一枚岩とは言えませんでした。

一方、同じ社会主義陣営ながら、ソ連と中国の路線対立が目立つようになります。実力行使による「中ソ国境紛争」や、中ソの代理戦争とも言える「印パ戦争」などが勃発します。加えて、ソ連牽制を狙って、ニクソンが1972年に中国を訪問したことをきっかけに米中関係を改善し、日本も中国との国交正常化を実現しました。

再び起こる対立と第三世界

ところが今度は、アジアでも西洋でもない場所において、またもアメリカとソ連の関係が緊張します。

1978年に、アフガニスタンでは共産主義の政権が立ちました。しかし、それに反抗する勢力が政権を奪おうとしたため、アフガニスタン政府の要請を受けて、ソ連軍が支援に入りました。アメリカはこれに対抗して、反共産勢力の反政府軍を支援しました。

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しかし、エチオピアが社会主義国家であったことから、ソ連が支援し、北朝鮮や東ドイツもこれに同調しました。これに反論するように、アメリカやエジプトなどの資本主義国家がソマリアを支援しました。

こうしてまた、資本主義対共産主義の図式があらわになってくるのです。ところが、この図式に当てはまらない争いが起きます。イラン革命です。

イラン革命は、もともとアメリカの援助を受け、西欧寄りの国家体制をとろうとした政府を、反対勢力が倒した革命です。冷戦時代、資本主義の反対といえば共産主義・社会主義でしたが、イランで西欧寄りの政権を倒したのは、イスラム主義を宣言する新しい勢力でした。これは、アメリカにもソ連にも頼らず、イスラム教に基づいて社会をつくっていこうというものでした。

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こうして、資本主義・共産主義に並ぶ、第三の主義が世界にあらわれたのです。

冷戦の終結

1980年代に入ると、冷戦は新たな局面を迎えます。

1985年に、ソ連の共産党書記長にゴルバチョフという人物が就任します。彼は社会主義経済を立て直すため、ペレストロイカという改革を掲げました。

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この改革により、東ヨーロッパ諸国でも「経済の自由化」を求める声が高まっていきます。結果として、この動きは東ドイツにも派生し、ついに1989年11月ベルリンの壁が取り壊されることとなったのです。つまり、ドイツの東側も西側も、考え方にそこまで大きな差がなくなったということを意味します。
それにより、およそ28年間もの間分断されていたドイツは、東西統一に向けて歩みはじめることになったのです。

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その後、ベルリンの壁が崩壊した翌月の12月2日、当時のアメリカ大統領・ブッシュとソ連のゴルバチョフの書記長の会談が地中海のマルタで実現しました。この会談を機に、冷戦の終結が宣言されました。

ソビエト連邦の崩壊

この冷戦の終結は、ソ連の国内体制にも大きく影響していくことになります。ペレストロイカ路線が行き詰まる中、バルト三国が独立宣言をし、ソ連政府はこれに対し軍事行動を起こすなど混乱の様相を呈します。

加えて1991年6月、ソ連体制内で機能が形骸化していたロシア共和国を、そこの大統領になったエリツィンが国名改称しソ連からの離脱宣言をしました。こうしてソ連邦内各構成共和国内で独立に向けた動きが進み、12月25日についにソ連は消滅しました。

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冷戦後の世界の動き

ヨ-ロッパでは一応「冷戦」は終結したものの、世界には相変わらず緊張状態が続き、再燃の火種がくすぶる所もあります。

又、米中の対決が新たな冷戦に繋がる様相も呈しているのです。

ポスト冷戦時代

ソ連邦が崩壊したことで、世界は米国一極時代に向かうものと思われました。ロシアも資本主義に傾き、両国の緊張関係も改善されていきました。しかし2000年代になると、ロシアは米国の一極支配を警戒し、反米的な中南米諸国や中国、イランとの関係を強めます。

一方東アジアに目を向ければ、ヨ-ロッパでの冷戦終結にも関わらず、モンゴルの民主化やベトナムと米国の和解はあったものの、中国と台湾、それから韓国と北朝鮮の対立は今に続いています。

米中新冷戦の始まり?

米国から見ると、近年、中国が知的財産権の侵害や貿易の不均衡、ネット企業の締め出し等を仕掛けてきたことに加え、ユ-ラシア大陸への「一帯一路」構想の展開等は、看過できない米国への挑戦であると受け止めています。

2019年、米中貿易摩擦の激化の中、米国側の高官は、「米ソ冷戦は、言わば西側の家族間の争いだったが、これは白人文明と中国文明の激突である」と言明し、米中新冷戦の長期化を匂わしています。

まとめ

そアメリカとロシアのトップ同士が会談し冷戦の終結を宣言したことで全ての争いに終止符が打たれたかに思えました。

しかし、全ての問題が、冷戦終結の宣言によって解決されたわけではありません。

資本主義 対 共産主義が生み出した争いは、中国と台湾の対立や朝鮮戦争など、現在に至るまで解消されていないものもあります。また、資本主義と共産主義の両方を対立関係にあるとみなすイスラム主義は、後にアメリカの同時多発テロ事件を引き起こす遠因となりました。

冷戦とは、「人の血が流れる熱い戦争と比較して、主義の相違や開発競争に象徴される冷たい戦争」だから冷戦と呼ばれると言います。

しかし実際には多数の争いがあり、今でさえ、その争いは終わっていないのです。

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