オイルショックという言葉を聞いた事はありますか?
2020年、新型コロナウィルスの影響で買い占めが起こった際、「まるでオイルショックの時みたいだ」と話されているのを聞いた事があるかもしれませんね。
ただ、そういう出来事があったという事は知っていても、詳しい背景や影響はわからないという人も多いのではないでしょうか。
今では石油への依存度が下がった事もあり、石油が原因でそんな騒ぎになるという事が、今ひとつピンと来ないかもしれません。
しかし、この事件は、今の私達の生活スタイルが生まれるきっかけであり、最近の日本が置かれている問題と共通する部分もあります。
これからの生活で気をつけるべきこと、変えていくべきことを考える為にも、改めてオイルショックという事件について、おさらいしていきましょう。
この記事の目次
オイルショックとは?
石油の値段が高くなって、石油に頼っている国の経済が混乱するという事を指しており、別名石油危機とも呼ばれます。
この出来事は1970年代に2回起きており、1973年に起きたものを第1次オイルショック、1979年のものを第2次オイルショックと呼んでいます。
これによって、好調だった日本の経済は大きな打撃を受け、その後のエネルギー政策にも、多大な影響を与えました。また、この時「原料となる石油の不足で物が足りなくなる」というデマが流れ、人々が買い占めに走った結果店から物が無くなる、という現象もあちこちで見られました。
中東戦争が起こした第1次オイルショック
第1次オイルショックのきっかけになったのは、1973年の第四次中東戦争でした。
これは、ユダヤ人の国家であるイスラエル共和国と、エジプトなど、アラブ諸国の間に起こった戦いです。戦争は当初、アメリカに支援されたイスラエル軍が優勢でした。そこでアラブ諸国が考えたのが「イスラエル支援国に対する原油の輸出禁止と原油価格の引き上げ」でした。
つまり、「イスラエルを助けるなら、これまでみたいに石油を安く売ってあげないぞ」と圧力をかけたのです。
慌てたのが当事者であるアメリカを初めこれまでエネルギーのほとんどを中東からの石油で賄っていた当時の先進工業国と言われる国々。日本もその一つでした。
1950年代から、日本ではそれまでの石炭に代わり安価で大量にエネルギーを得られる石油に切り替えていました。
車のガソリンなど、燃料としての使い道の他に火力発電や、工業製品の大量生産にも石油は欠かせません。全体の8割が中東からの輸入だったといいますから、大半を外国に頼っていた訳です。その日本を直撃したのが中東戦争による石油の値上げでした。
物を作ったり、動かしたりするのに必要な石油の値段が上がるという事は、作った物の値段も、その分高くしなくてはならない、という事ですその結果、何とオイルショック前と比べて、約20%も物価が上がってしまい、狂乱物価という言葉も生まれました。
政府は、この事態に対応する為に「総需要抑制策」を打ち出します。「石油は今までのようには買えないので、節約して使ってください」「無用な買い物は控えてください」と国民にお願いしたんですね。
この影響で、大きな公共事業がいくつも中止された他、生活に身近なところでは、「夜のネオンサインを消す」「日曜日はガソリンスタンドを休みにする」などの対策が採られエネルギーを無駄にしないという意味で省エネという言葉が広まりました。
物価の上昇に、節約政策が重なった事で、消費者が物を買わなくなり日本の経済成長にはストップがかかってしまいました。
1974年の国民総生産はマイナス1.2%と、戦後初めてのマイナスとなり1950年代から続いてきた高度経済成長はここで終わったと言われています。
オイルショックが起こした買い占め騒動
この時に起きたのが有名なトイレットペーパー等の買い占めです。当時の大阪で、原料となる石油の不足で、物が買えなくなるという噂が広まり、慌てた人々が商品を買い占めるという騒ぎが起きたのです。
噂は全国に広まり、紙製品だけでなく、砂糖や洗剤といった日常生活に必要な品々が、軒並み買い占めの対象となっていきました。
実際は、日本国内にはこれらの備蓄は十分にあり、単なるデマに過ぎませんでした。
それにも関わらず、こんな事が起きた背景には、当時の日本が、高度経済成長によって「安い製品が大量にある」という状態に慣れてしまっていた事が大きいと言われています。
そこに物が手に入らくなるという、思いもしなかった事態への不安が襲ってきたことが、パニックを起こしてしまう原因になりました。そうして店から物が無くなる様子を見て、最初は冷静だった人達までが、慌てて買い占めに走ってしまう、という現象に繋がったのです。
あれ?今の日本と同じだね。
イラン革命が起こした第2次オイルショック
第2次オイルショックは、1979年のイラン革命によって起きました。やはり中東の産油国であるイランでの、政権交代で起きた混乱により、石油の生産が一時ストップしたのが原因です。この時も原油価格は上昇しますが、日本は第1次オイルショックを経験していた事から、既に述べた省エネ対策が実行されており、パニックが起きたり、店から物が消えたりという事は起こりませんでした。
オイルショックで日本はどう変わったの?
このように、2度のオイルショックと、その後の不況を経験した日本は、ここから大きく方向性を変えていきます。
まず行われたのは、「大量生産・大量消費」という方法の見直しです。
それまでは、原料となる石油をどんどん安く輸入できましたから、お金をかけて大量に作っても全部売る事ができて利益になりました。しかし、経済成長が止まった上にいつまた石油が入ってこなくなるかわからない状況ではそんな事はできません。少ない人数とエネルギーで効率良く物を作って売ろうという方向にシフトしていったのです。
もう一つは、輸入石油に頼らないエネルギーの確保です。
「外国からエネルギーが買えなくなっても、自分たちで用意できるようにしよう。」「石油だけじゃなく、色々なエネルギーを普段から準備しておこう」こういった考えから、石油に代わる多様なエネルギー源の研究が進みました。
原子力や天然ガス、それに太陽光や水力、風力による発電など。今の日本を支えている、これらの技術の研究が進んだのは、この頃からです。中でも原子力発電は、輸入に頼らず多くのエネルギーを賄えるので、火力に代わる発電方法として注目され、各地に多くの原発が建設されていきます。
オイルショックから学べること
オイルショックの時と同じように、近年の新型コロナウィルスでも商品が手に入らなくなるという噂が、人々を買い占めに走らせています。
また、ウィルス感染拡大を防ぐ為の外出自粛の影響でサラリーマンのように通勤する事が当たり前となる職種や接客業のような、対面する事を前提にする職業において収入が減少する人が相次ぐという問題も起こっています。
どちらも共通しているのは「根拠のないデマ情報によるパニックの恐さ」そして、「生活の基盤を一つのものに依存している事の危険」です。
オイルショックを経験した日本は、石油に依存したエネルギー政策を大きく見直し、それが今の私たちの生活を形作っています。 新型コロナウィルスを経験した私たちが、今後の生活を考える時にはオイルショックに襲われた際の日本の変化を、参考にできるのではないでしょうか。