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ニューディール政策ってなに?どこよりも分かりやすく解説!

アメリカの歴史を語る上で、ぜひ覚えておきたいニューディール政策ですが、一体どのような政策だったのでしょうか?

ニューディール政策についてイマイチよく分からない方も多いと思うので、今回は、ニューディール政策をどこよりも分かりやすく解説します!

まずは世界恐慌について知ろう!

ニューディール政策が行われた理由を知る上で、1920年代~30年代の経済状況を理解する必要があります。
1920年代のアメリカは建国以来の繁栄を迎えていて、自動車や映画、ラジオなど当時の先端技術も大衆に広まり、家電の普及で人々の生活は豊かになっていました。
またニューヨークにはロックフェラーセンターやクライスラービルなどのニューヨークの象徴の高層ビルもこの時代に建設されていき、こうした繁栄を象徴する20年代は「黄金の20年代」とも呼ばれます。

ゼネラルモーターズの株価が大暴落

世界恐慌が起きたきっかけとなったのは、1929年のことでした。株の大衆化によって株価が一気に上昇しましたが、経済状況は戦後の好況の中で設備への過剰な投機が行われたことで需要よりも生産する生産過剰に陥ることになります。その不安の中1929年10月24日にニューヨークのウォール街にある株式取引所で一斉に株価が暴落。

みんなが慌てて株を売り始め雪崩を打つように株価が下がり始めていき、さらには預金を引き出すために民衆が殺到。銀行は預金を融資に回しているため預金の殺到を支えることが困難となり倒産する銀行も続出します。

銀行が破産したことで融資のストップした企業は倒産。労働者のリストラが続出してニューヨークをはじめとしたアメリカでは失業者があふれることになります。

アメリカ全体が不況になり、やがて世界恐慌へ

そして、失業する人が増え、投資家も大きな損をしてしまったことから人々はお金が無くなってしまい、ものを買うことすら躊躇するようになります。

ものが売れなくなってしまうと、お店を開いている人はお金を稼ぐことが出来ないので、こちらもまた貧困に陥ってしまいます。このように次々と連鎖的に不況の輪が広がっていって、アメリカ全体が不況の波に襲われてしまいます。

そしてこのころになるとアメリカが世界の富を独占していたためアメリカと取引していた世界の国々も、アメリカが貧困に陥ったせいで取引が出来なくってしまったことで不況に陥ってしまいます。

こうして、アメリカを始めとして、世界的に大きな不況となってしまうことを世界恐慌といいます。

アメリカの失業率がとんでもないことに

こうして、世界恐慌に陥ってしまったのですが、当時のアメリカの大統領「フーバー大統領」は「このまま国民の自由にしておけば景気は回復する」と言い、政府のお金を出し惜しみしていました。
すると、景気は回復するどころかどんどんと悪化していき、1933年には失業者が「1200万人」を超え、失業率はなんと「25%」にも登りました。
アメリカの人口の4分の1が仕事を失っているという状況なので、いかにアメリカ全体が貧困だったかが分かりますね。
こうして、アメリカはどうしようもない状況に陥ってしまうのですが、ここでいよいよ行われるのが「ニューディール政策」です。

ニューディール政策ってなに?

フランクリン・F・ルーズベルト大統領

こうして、このような状況を受け、1932年にニューディール政策を掲げたルーズベルトが大統領に就任することになります。
そして、ルーズベルト大統領が掲げたニューディール政策というのは「失業者に公共事業で職を与えて、失業率と恐慌を緩和させよう」というものでした。

ニューディール政策の詳細

ニューディール政策は、初期(1933年から1934年)のファーストニューディールと後期(1935年から1939年)のセカンドニューディールに分けられます。
ニューディール政策と呼ばれるようになったルーズベルトの一連の政策の目的はRelief(救済)・Recovery(回復)・Reform(改革)という3つの”R”で表現されてます。
ルーズベルト大統領は、今までフーバー元大統領が出し惜しみしていた政府のお金もふんだんに使い、借金をしてまででもニューディール政策を行う姿勢を見せました。
次はそのニューディール政策の具体的な内容についてみていきましょう。

ファーストニューディール

ニューディール政策の初期は大きく3つの取り組みが挙げられます。

NIRA(全国産業復興法)

1つ目は、NIRA(全国産業復興法)です。これは、価格と賃金の安定を図り、労働者の人権の整備を行う法律です。労働者組合結成や団体交渉の権利が認められました。しかし、1935年、最高裁判所が「大統領による議会の立法権への侵害である」として憲法違反としましたため、廃止されました。

NIRA(全国産業復興法)の設立は、後のワグナー法に繋がるため、廃止されたものの、重要な取り組みだったといえます。

AAA(産業調整法)

2つ目は、AAA(産業調整法)です。これは、農業生産量を政府が徹底的に管理し、農作物の価格上昇を狙いました。これまでのアメリカの農業は余った農作物は農家の個人責任のもと海外や米国内にも販売されていました。
政府は個人や企業による自由売買が農業の不況に陥った原因であると考え、生産量をコントロールして農家に保証するAAA(産業調整法)が制定されたのです。
結果的に、数年以内に農業総収入は50%以上増加しました。

TVA(テネシー川流域開発公社)

3つ目の政策は、TVA(テネシー渓谷開発計画)です。テネシー川流域に、多くのダムを建設しただけでなく、植林や治水事業などの複数の事業を展開しました。この事業に失業者を雇い公務員にすることで雇用が増え、電力供給が安定し、テネシー川流域の地域が活性化しました。

ちなみにこの公社はは現在も存在しています。

セカンドニューディール

次に、ニューディール政策の後期(1935年から1939年)の取り組みについてご紹介します。有名な大きな取り組みを3つご紹介します。

ワグナー法

1つ目は、ワグナー法の設立です。NIRA(全国産業復興法)が1935年に最高裁により違憲判決が下されたことに伴い、労働三権を残して立法化された法律です。この法律では最低賃金の設定。、最高労働時間を定めて労働三権を保障しました。

過剰に搾取されがちな、労働者の人権を守るための法律ですので、非常に重要です。

社会保障法の設立

2つ目は、社会保障法の設立です。社会保障法では、失業保険制度や退職金制度、年金基金などを確立しました。

公正労働基準法の設立

3つ目は、公正労働基準法の設立です。この法律は、労働時間の規定や最低賃金の確保、自動労働の禁止などを制定しました。現在では当たり前の法律が、このニューディール政策をもとに生まれています。

こうして、ニューディール政策を実際に行ったことにより、1937年にはこれまで失業率が25%まで上昇していましたが「14.3%」まで減少させることに成功します。

ニューディール政策は失敗だった?

こうして、アメリカ国民や全体にとって、ニューディール政策は間違いなく成功したように思えましたが、実はそうではありませんでした。
これだけの成果があり、失業率も14.3%まで減少していたのですが、その翌年には失業率が4%も増加してしまいます。

原因は、政府がニューディール政策にお金を使いすぎてしまい、公共事業にお金が回らなくなってしまったことが原因だと言われています。
また、もともと民主主義国家(みんなで意見を出して決めること)だったアメリカですが、ニューディール政策は全体主義(政府に反対することを禁止すること)の政策でした。

なので、ニューディール政策に対して賛成派と反対派に分かれてしまい、結果として中途半端に終わってしまったことも理由として挙げられます。

世界恐慌に陥った他国ではブロック経済で景気回復へ

世界恐慌となってしまった他国では「ブロック経済」という方法で景気の回復を図りました。

ブロック経済というのは「自国やその植民地、自治領だけで経済を回し、他国には高い関税をかけてブロックする」という経済システムのことです。
こうすることで、自然と他国から入ってくる高い商品などを買わずに、自国のもののみで経済が回せるので、自国の経済的な利益を守るという意味合いがありました。

しかし、このブロック経済は植民地や自治領を持つ国のみでしか行うことが出来ず、結果としてこれに反発した諸外国が多かったそうです。
世界恐慌の後には、ほどなくして「第二次世界大戦」が行われるのですが、このブロック経済もその一因なのではないかと言われています。

まとめ

今回は、ニューディール政策や世界恐慌、ブロック経済について詳しく解説いたしました!

世界恐慌になったことにより、ルーズベルト大統領が打ち出したニューディール政策は、必ずしも成功とは言えませんでしたが、多少なりともアメリカの景気回復には貢献出来ていたと思います。
他国ではブロック経済と呼ばれる方法で景気の回復を図っていましたが、これが後に第二次世界大戦の引き金となっていたのではないかというのは驚きでしたね。
みなさんも、これを機に歴史や政治に興味をもっていただけたら嬉しいです!

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