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世界史

米墨戦争とはどんな戦争?戦争の背景から現在の関係への影響まで詳しく解説

2020年10月9日

北アメリカ大陸支配において太平洋から大西洋までの領土を支配しているアメリカ。

しかし、もともとアメリカは東海岸の地域しか支配していませんでした。

そしてアメリカが太平洋へと進出するきっかけとなったのがこの米墨戦争だったのです。

今回はそんなアメリカの太平洋進出の第一歩となった米墨戦争について解説していきたいと思います。

米墨戦争とは?

米墨戦争とは、現在のアメリカ南部テキサス州の所属をめぐって、1846年から1848年にかけて、アメリカ合衆国(米)とメキシコ合衆国(墨)の間で行われた戦争です。アメリカ・メキシコ戦争とも呼ばれています。

19世紀のアメリカの領土拡大が進む中で起こったこの戦争は、アメリカによる西部・南部の領土獲得からその後の発展に至るまでの大きなきっかけとなった戦争です。

近年、アメリカでメキシコとの国境に壁を建設する意見が出るなど、気になるところの多い両国関係ですが、それを知るうえで歴史的に欠かすことのできない出来事です。

この記事では、米墨戦争の背景や米墨戦争のその後についてそれぞれ解説します。

米墨戦争の内容

米墨戦争という文字では、「米」と表記されることが一般的に浸透しているアメリカに対して、「墨」がどこの国を指しているのかわかりにくいですね。
ここでもう一度確認しましょう。
米墨戦争は、アメリカ合衆国(米)と、その隣国のメキシコ合衆国(墨)の間で行われた戦争です。
具体的にどのような出来事が起こったのか、まずは解説していきます。

米墨間の問題

そもそも米墨戦争はどのような問題から引き起こされた戦争だったのでしょうか。
原因はずばり、南北で隣り合っているアメリカとメキシコの間で起こった国境・領土問題です。

領土問題

1830年代のアメリカ大陸。(wikimedia.org Commons/5/5d/United_States_1834-1836-03.pngより引用)

両国の国境付近に位置するテキサスの帰属をめぐる対立が両国間の国境争いの一つの大きな火種となりました。
アメリカは、米墨戦争前に現在のアメリカ南部のフロリダやルイジアナを購入しており、それをきっかけに、メキシコとの国境を超えて、当時メキシコ領だったテキサスに入植する人々が急激に増えました。
テキサスはもともとメキシコ北部の領土の一部でしたが、アメリカから流入してきた多くの移民たちによって、1836年に「テキサス共和国」として独立します。

その後、1845年にアメリカがテキサス共和国を併合してしまったのです。この時の、アメリカのテキサス併合への気運を高めた事件が、「アラモ砦の戦い」というものです。

アラモ砦の戦い

この戦いは、アメリカからのテキサス入植者を排除しようとするメキシコ軍と、アメリカ人入植者が衝突した事件です。アラモ砦のアメリカ守備隊が、メキシコ軍の攻撃によって玉砕したことから「アラモを忘れるな」という合言葉が生まれ、テキサス独立の気運を作りました。

メキシコは、テキサス共和国の併合はおろか、独立さえも承認していませんでした。

国境問題

テキサスを併合したアメリカは、リオグランデ川を国境として主張したのに対し、メキシコ側が主張した国境はリオグランデ川よりも北側にあるヌエセス川でした。
戦争勃発に至るまで、双方の国境の主張の食い違いと、テキサスの帰属に関する問題について、交渉だけで解決に導くことはできませんでした。

米墨戦争の推移

テキサス共和国の併合に対するメキシコの抗議に対し、アメリカは挑発的な態度で返します。
そして、メキシコ兵がアメリカ兵をとらえたことを口実に、1846年に米墨戦争が勃発してしまいます。
この時アメリカ国内で開戦を支持したのは、南部出身者と当時の大統領であったジェームズ・ポーク率いる民主党でした。
一方でこれに反対した層は、北部出身者と、ホイッグ党(若き日のリンカーンもその一人)でした。アメリカは、潤沢な人員と、近代的な銃火器などを用いた装備によってこの戦いを比較的有利に進めていきます。まず、アメリカは戦争勃発からほどなくして、ロサンゼルスをはじめとする現在のカリフォルニア州の複数の都市を占領しました。現在のアメリカ西海岸の地域から、徐々にアメリカは南下を進めていきます。
アメリカ陸軍はカリフォルニアとニューメキシコを制圧し、海軍はベラクルスに上陸し、その後、最終的にメキシコの首都であるメキシコ=シティにまで侵攻します。
メキシコ=シティでアメリカ軍に対抗したメキシコの6人の少年兵は、「英雄少年」と名付けられ、現在メキシコ=シティに記念碑が建てられています。
1847年9月14日、アメリカの星条旗がメキシコ=シティに掲げられ、メキシコの首都はアメリカに占領されます。
当時のアメリカの人口は3千万人ほどで、軍事的にも大国としての地位を築きつつありました。

一方メキシコは、8百万人ほどの人口と、国内の動乱状態により、圧倒的に不利な状態にありました。
結果的にメキシコはアメリカの近代的な装備に対抗することができず、国内の情勢も不安定なことも相まって、全面的な抵抗ができないままこの戦争に敗れてしまいました。
1847年のカエフンガ条約でカリフォルニアでの戦いは終戦、翌1848年にグアダルーペ=イダルゴ条約で米墨戦争はついに終結を迎えます。
これにより、アメリカは1500万ドルでカリフォルニア・ニューメキシコ両地方を獲得します。
メキシコはテキサスを中心とする当時の国土の1/3ほどにも及ぶ広大な領土を失ってしまう結果となりました。
割譲された土地は、現在のアメリカ西部から南部の地域となっています。

米墨戦争の背景

米墨戦争の発端や結果に対して、当時のアメリカとメキシコそれぞれの国内の状況が、多大な影響を与えました。
それぞれ解説していきます

アメリカが置かれていた状況

19世紀初頭、アメリカは領土拡大の真っただ中にありました。独立当時から現在のような広大な国土を有していたわけではないのです。
建国当初は、東海岸のごく一部の領土から始まり、徐々に西へ西へと領土を獲得していきました。
アメリカの西部への領土拡大運動は、西漸運動と呼ばれ、これはアメリカの「明白な天命 (Manifest Destiny=マニフェスト・デスティニー)」であるとして行われていました。
明白な天命とはアメリカにとって、領土の拡大は神から与えられた使命であるという考え方です。この考え方によって、アメリカの領土拡大運動は正当化されました。
そのようにして、急激な領土拡大の過程の後半で起こったのが、米墨戦争だったのです。
米墨戦争に関連してメキシコから割譲、分割された西部と南部の領土獲得によって、ほぼ現在のアメリカの国土が完成されました。

メキシコが置かれていた状況

メキシコは、米墨戦争前の1821年にスペインからの独立を果たし、1824年に共和国になりました。
独立革命の後、しばらくメキシコ国内での混乱は続きます。
国の財政悪化による軍の反乱や、ネイティブアメリカンの反乱、アメリカからの移民の流入に加え、テキサス共和国独立に影響を受けたいくつかの地域の独立運動などが起こっていました。

このような混沌とした国内の情勢の中で、メキシコはもはや北部を統治し続けられるだけの余裕はもはやありませんでした。
結局、当時のメキシコ大統領で、独裁体制を敷いていたサンタ=アナは、米墨戦争が始まるまでに国内の混乱は収束させることはできず、全国的な抵抗を組織できないままアメリカとの戦争に敗北してしまいました。

米墨戦争のその後

米墨戦争の発端となったのは、領土や国境をめぐる、アメリカとメキシコの対立でした。
つまり、米墨戦争の終結後、アメリカとメキシコ両国で最も大きな変化がおきたのもまた、両国の領土と、それぞれの間を隔てる国境だったのです。
それぞれの領土は戦争を経てどのように変化したのでしょうか?
1845年のテキサス併合から戦時中のカリフォルニア獲得、さらに戦争後の1853年にかけて、アメリカは現在のメキシコとの国境沿いに位置する、ニューメキシコ・アリゾナ・ネバダ・ユタなどをはじめとする、南部と西部の各地をメキシコからの割譲、買収によって手に入れました。
メキシコは戦争前の領土の半分にも及ぶ広大な領土を手放してしまうことになったのです。
そして、両国間の国境は、当初からアメリカが主張していたリオグランデ川に決定されました。
これだけでもメキシコにとっては痛い打撃であったはずですが、さらなる発見により、もっと惜しい土地をなくしてしまったことになりました。
その発見とは、カリフォルニアの金鉱と、テキサスの油田地帯だったのです。もともとは、米墨戦争で争われた領土の一帯は、不毛地帯だと考えられていました。
そこから一転、1848年のカリフォルニアでの金鉱発見により、世界各地から多くの人が西部に流れこんでくるようになりました。
こうして、カリフォルニアはゴールドラッシュを迎え、アメリカの領土拡大運動もいよいよピークを迎えることとなったのです。
一方メキシコは、アメリカのさらなる領土侵攻に強い危機感を強めていました。
サンタ=アナ大統領が退陣に追い込まれ、自由主義者と保守派の内戦などでメキシコ国内の混乱はさらに続き、20世紀初めのメキシコ革命まで混乱や苦悩は尾を引くことになります。

現在の両国関係に与える影響

米墨戦争は1846年から1848年にかけての出来事であり、戦争の終結からすでに100年以上の年月が経過しています。

いったい、100年以上前の出来事はどのようにして現在のアメリカとメキシコの関係に影響を与えているのでしょうか。
メキシコの人々の嫌米感情は、この戦争の結果が少なからず影響を与えています。

米墨戦争はあまり有名な戦争ではありませんが、南米では「米墨戦争は不正義な戦争である」と考える人も少なくなく、のちのカリフォルニアの金鉱発見などもあり、嫌米感情を持ってしまうのも不自然ではありません。
そのため、隣国の公用語であり、また世界共通語でもある英語は、メキシコではいまだにあまり浸透していません。
*メキシコの公用語は旧宗主国であったスペイン語です。
近年では、アメリカがメキシコからの移民を制限するために国境に壁を作るという計画が浮上し、一方でメキシコは新型コロナウイルスの感染拡大後にアメリカからの入国を拒否し始めるなど、両国の関係はいまだピリピリとしているのが現状です。
アメリカとメキシコの関係に影響を与えている要素は、移民問題、ドラッグ問題など、様々な要素が絡み合っているものですが、そのような冷え込んだ関係に米墨戦争という出来事も少なからず影響を与えていることでしょう。

まとめ

米墨戦争とはアメリカとメキシコの戦争であり、この戦争によってアメリカとメキシコの力関係を決定つけることとなりました。

アメリカはここからゴールドラッシュを経て超大国への道を歩み始めていくことになります。

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