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世界史 経済用語

マーシャル・プランってどんな計画?背景・目的・結果をわかりやすく解説!!

第二次世界大戦の後ヨーロッパ諸国は荒廃していました。そこで新しく世界の盟主にになったアメリカは1947年に復興支援計画を行うことになります。

そしてこの計画によってあたらし冷戦構造の固定化に繋がり、同時に欧州統合(現在のEU)のきっかけにもなっています。

今回はそんなマーシャル・プランについて解説していきたいと思います。

マーシャル・プランとは

マーシャル・プランに使用されたロゴ。「欧州復興のために、アメリカ合衆国により供給」と記されている。

マーシャル・プランは第33代アメリカ合衆国大統領トルーマンのもと打ち出された、ヨーロッパ諸国への大規模な戦後復興支援計画です。
当時の国務長官マーシャルが提唱したことからマーシャル・プランと呼ばれました。1948年の成立から1952年の終了までで、約130億ドルもの援助がアメリカから提供されました。

第二次世界大戦の戦場となったヨーロッパでは、敗戦国はもちろん、勝戦国ですら非常に荒廃していました。数百万人におよぶ死者と重傷者、甚大な被害を受けた国土により、農業や食料生産ができない状態でした。交通基盤が打撃を受け、流通にも問題がありました。

ヨーロッパ諸国が自力で復興するには難しく、復興できたとしてもかなり長い時間が見込まれました。このままでは恐慌や新たな戦争になりかねないことから、国際情勢の安定を図るため、アメリカは「欧州復興計画(マーシャル・プラン)」を検討することになります。

人道的支援に対する世論の高まり・ソ連の勢力拡大防止

マーシャル・プラン導入の背景には、ヨーロッパ諸国が第二次世界大戦で受けた被害が大きく、自力での復興が困難であったことがあります。
輸出はおろか、自国民を養うだけの物資もなく、輸入して補うための資金もありません。ヨーロッパ全体がそのような状況だったため、回復が遅れるのは必至でした。

アメリカ本土は主戦場にならなかったことから、国土や生活基盤への被害は少なく済みました。戦争特需で経済的に潤っていたこともあり、ヨーロッパの人々を人道的に救済するべきだという世論がアメリカ国内で高まっていきます。

ヨーロッパはアメリカ製品の非常に大事な市場だったので、ヨーロッパの早期再建はアメリカ経済の発展にとっても重要な意味をもちました。

しかし、トルーマン大統領は人道的支援と経済的利益だけでは主張が弱く、議会承認を得ることができないと考えました。そこで、アメリカにとって新しく脅威となっていたソビエト社会主義共和国連邦(以下ソ連)と共産主義の拡大危機を問いて、議会を説得します。

つまり、いまアメリカが援助をしなければ、ヨーロッパ中の自由主義国家がソ連と共産主義勢力の手に落ちる可能性があると、マーシャル・プランの政治的意味を訴えたのです。

西欧の経済復興、自国の利益追求、自由主義社会の勢力拡大

アメリカは国際的・人道的・経済的・政治的観点からヨーロッパの援助に乗り出しました。マーシャル・プランの目的は大きく3点です。

まず西ヨーロッパの経済復興です。アメリカは壊滅的被害を受けたヨーロッパで恐慌、戦争のきっかけをつくらないためにも、ヨーロッパ再建は重要だと考えました。

2つ目は欧米間の貿易再開と促進です。戦前からヨーロッパはアメリカにとって最も大きい市場のひとつでした。早期復興で需要を回復し、アメリカの利益に結びつけたいという思惑がありました。

最後に、自由主義国家・資本主義国家の勢力拡大です。第二次世界大戦ではタッグを組んだアメリカとソ連でしたが、政治主義の違う両国は互いに脅威でもありました。弱りきった西ヨーロッパ諸国に、ソ連・ソ連衛星国が関与することで、社会主義・共産主義社会の影響力が拡大することを恐れたのです。

マーシャル・プランの対象国とその反応

ソ連の拒否

マーシャル・プランで特筆すべき点は、対象国にソ連や東ヨーロッパ地域が入っていたことです。人道的支援という大義があったアメリカは、表向きだけでも政敵のソ連、東側諸国を対象に含める必要がありました。戦勝国アメリカの慈悲深さと繁栄を示し、アメリカ国民の愛国心や貢献意欲を高める目的、国際的立場を高める意味もあったのでしょう。あわよくば東側諸国の政治思想変革も狙っていたものと見えます。

第二次世界大戦で死者数が最も多かったのはソ連で2600万人以上の人が亡くなったとされています。この数値は全体で8000万人といわれる犠牲者数の3割を占めています。

ソ連は復興のための援助が必要だったはずです。しかしソ連はマーシャル・プランへの参加を断りました。マーシャル・プランが共産主義国家を目指すソ連の考え方と真逆だったからです。自由主義・資本主義社会を繁栄させるための政策ですから当然ですね。

援助を受けることで、アメリカから介入が増える可能性も大いにありえます。アメリカの影響力を拡大させないためにも、マーシャル・プランの拒否はソ連にとって必至でした。

マーシャル・プランの発表で東ヨーロッパ諸国は動揺しました。政敵とはいえ、当時の彼らにはとても魅力的な提案でした。実際、チェコスロヴァキアは一度受け入れています。自国の復興には代えられないと判断したのでしょう。しかしソ連の圧力により撤回を余儀なくされ、のちにクーデターで共産党政権が成立しています。マーシャル・プランが東ヨーロッパ諸国に対するソ連の軍事介入、直接介入をゆるし、締めつけ強化の好機となりました。

OEEC設立

参加を表明した西ヨーロッパ諸国は、それぞれに協力し、自主性をもって復興計画を立案、実行することをアメリカから求められました。アメリカからの援助資金を適切に分配して、復興計画を実施する組織として1948年4月「ヨーロッパ経済協力機構(OEEC)」が設立されました。西ヨーロッパ16か国からなり、イギリス、フランスはじめ、敗戦国であったイタリア、西ドイツも参加しています。1961年に発足し、現在も続く「経済協力開発機構(OECD)」の前身となりました。

マーシャル・プランの基本意向である、ヨーロッパ各国の自立した復興計画とその実施は、いみじくもヨーロッパ統合の流れにつながっていきます。ヨーロッパ統合のきっかけになった「ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ECSC)」は1950年に設立されました。ECSCはOEECの人材や知見、技術が活用されており、マーシャル・プランがなければ存在しなかったものです。

その後、「ヨーロッパ経済共同体(EEC)」、「ヨーロッパ共同体(EC)」と発展や統合を繰り返して、現在の「ヨーロッパ連合(EU)」に結びついています。

マーシャル・プランはアメリカに利益が還流する仕組み

マーシャル・プラン参加国はOEECを通じて援助を受けることになりました。アメリカはOEEC設立の際に約130億ドルの支援を提示していますが、同時に資金の使いみちや支援条件について要求しました。慈善事業ではないということですね。たとえば

ポイント

・被援助国は資金をアメリカからの物資購入に使う
・資金の使いみちは生活に必要な機械類、農作物などに限定される
・物資の50%はアメリカの船によって輸送される必要がある
・被援助国はアメリカ国内で供給が足りていない物資を積極的に備蓄、提供する
・為替と貿易を自由化する
・ヨーロッパ域内、欧米間の関税を引き下げる

など、最終的にアメリカへ利益が還流するようになっていました。

ソ連の対抗策

コメコン(経済相互援助会議)の旗

一方でソ連は、政治的に親和性の高い東ヨーロッパ諸国に働きかけ、対抗策をとっていきます。

1947年にソ連は共産党情報局(コミンフォルム)を設立します。ソ連のソ連共産党とヨーロッパ8か国の共産党が参加していました。国としてマーシャル・プランの援助を受けていたイタリア、フランスの共産党も加盟しています。ソ連が加盟政党に直接介入をすることで、マーシャル・プランの発表で乱れた社会主義・共産主義社会の足並みをただし、統制を強めていきました。

コミンフォルムは1949年には経済相互援助会議(COMECON)に発展します。コミンフォルムとの違いは、イタリア、フランスの内部組織が入っていない点、アルバニアが加盟した点です。

加盟国の工業化とインフラ整備を目的とし、ソ連と各加盟国、二国間の経済関係の取り決めをするものでした。しかし1953年にソ連の指導者スターリンが死去すると、多国間の経済協力、生産技術の協力、それぞれの国の五か年計画を調整する機構に変わっていきました。

1948年6月には、西側の新通貨ドイツマルク導入に反発したソ連はベルリンを封鎖します当時のベルリンは東ドイツ領内に位置しながら、アメリカ・イギリス・フランス・ソ連の4国によって分割占領されていました。

西ドイツからは道路、鉄道、空路を利用して入ることができましたが、西ドイツからベルリンに続くすべての道路、鉄道、水路を封鎖したのです。食糧や衣料品、生活用品、石炭などの供給を断ち、西側3国の撤退を目論んだものでした。

アメリカ空軍は打開策として物資の空輸補給を実施し、西ベルリンの市民と占領軍は守られました。ベルリン封鎖で米ソ間の緊張感は高まり、全面対決への展開が危ぶまれましたが、ソ連のスターリンが譲歩し、1949年5月ベルリン封鎖は解除されます。

また、スターリンはソ連の核開発を急がせました。アメリカの核兵器開発に対抗できる軍事力を示すためです。1949年には原爆実験を成功させ、アメリカや西側諸国にとって更なる脅威となりました。煽られるようにして、アメリカも核開発を加速させ、お互いに牽制しあうようになっていきました。アメリカとソ連の核開発競争は、これまで以上に両者の溝が深まるきっかけとなりました。

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マーシャル・プランがもたらしたもの

西ヨーロッパの早期復興と経済成長

マーシャル・プランは第二次世界大戦で疲弊した西ヨーロッパの復興に重要な貢献を果たしました。マーシャル・プランが実施された1948年から1952年の間、西ヨーロッパの経済成長は歴史上最高だったとされています。

工業生産高は35%も伸び、戦前のレベルを超えるほどになりました。西ヨーロッパは約20年先にわたって経済成長をとげ、西ヨーロッパの国民の生活水準は圧倒的に向上していきました。

 ヨーロッパ統合のきっかけ

アメリカはマーシャル・プランの基本方針として、被援助国の相互協力と自主的な復興体制を整えることを条件としました。そのためにOEECが設立され、OEEC内での関係性が発展してヨーロッパ統合への流れに繋がっていきました。

アメリカのモンロー主義脱却

1823年に第5代アメリカ合衆国大統領モンローが、アメリカとヨーロッパの相互不干渉を提唱しました。ヨーロッパの政治に介入しないことがアメリカ外交の基本姿勢とされ、モンロー主義として長らく採用されてきたため、マーシャル・プランに対しても保守派の反対が予想されました。

そこでトルーマン大統領とマーシャルらは、あくまで人道的な復興支援であると強調し、世論を味方につけます。

議会審議においてはソ連と社会主義・共産主義国家への政治的対抗策であると主張し、圧倒的な賛成票を勝ちとり承認を受けました。マーシャル・プランは、アメリカが伝統的な孤立主義外交を脱し、世界政策に踏み出す一歩となりました。

アメリカ経済の発展

マーシャル・プランで提供された資金の大半は使い方を指定されていました。生活に必要な機械類、農作物などに限定されたうえ、アメリカと取り引きされるため、資金は結局アメリカに戻ってくることになります。

アメリカの輸出を増やすためには、ヨーロッパ各国が外貨(ドル)を準備できなければいけません。戦争特需でアメリカ経済が潤っていたとはいえ、長い目で見ればヨーロッパ市場の回復はアメリカにとっても重要でした。

大戦前にはアメリカの輸出総額42%は対ヨーロッパが占めていたのです。つまりマーシャル・プランによるヨーロッパ救済はアメリカの経済発展においても必要不可欠なものでした。

東西冷戦体制の固定化

冷戦は、第二次世界大戦後、アメリカを代表とする自由主義社会(西側諸国)と、ソ連率いる共産主義国家(東側諸国)に世界が二分された対立構造のことです。

冷戦体制が固定化するきっかけの1つがマーシャル・プランでした。アメリカのマーシャル・プランに対抗してソ連がコミンフォルム、のちにコメコンを設立しました。東西陣営はマーシャル・プランに対する立ち位置を表明することで、それぞれに結びつきを深め、対立を明確にしていきました。

まとめ

アメリカが行ったマーシャル・プランはヨーロッパ諸国の復興支援計画だけではなく、ソ連が東欧諸国との経済的な結びつきを強めるために経済相互援助会議(略称コメコン)を設立し、のちにヨーロッパが統合する道筋を立てていった重要な計画でした。

アメリカはこの計画によって事実上の世界の警察の道を歩みだすことになるのでした。

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