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日本史

満州国そして満州事変とは?わかりやすく解説!

2020年5月20日

そもそも太平洋戦争とはなんなのか?それを語る上でどうしても避けて通れない問題があります。満州、そして満州事変です。

日本の領土はおおまかに言えば北海道、本州、四国、九州だけです。しかし太平洋戦争開始以前の日本は、欧米列強に負けずに植民地を拡大してゆかなければ、ゆくゆく資源の乏しい日本列島は、逆に列強によって支配されてしまうという危機感がありました。

そのため日露戦争勝利後は朝鮮を併合し、ロシアから遼東半島を奪い、領土を拡大してゆきます。そして次に目を付けたのが満州すなわち中国東北部だったのです。

清朝の衰退と列強の中国半植民地化

ここでざっと中国の歴史をおさらいしておくと、かって中国東北部を支配していたのが満州族といわれる人たちでした。この人達が日本でいうと江戸時代の初期に、中国の明王朝を滅ぼし新たに清という国を建国しました。

清は孫文による辛亥革命による中華民国の樹立までおよそ300年続きます。しかしその後半はアヘン戦争、アロー戦争と英国との戦争に敗れ、その無能、弱体ぶりを国際社会に露呈してしまいます。かっての威光を失い、列強の半植民地と化していくわけです。

日本もまた日清戦争以後、中国大陸、特に満州への野心を露骨なものとしていきます。なにしろ満洲はロシア、モンゴルと国境を接する広大な土地です。対ロシア外交の上で重要であるだけでなく、日本が輸入に頼る鉄、錫、亜鉛、石炭等天然資源の宝庫だったので、当時の大日本帝国にしてみれば喉から手が出るほど欲しい土地だったわけです。

これは「満蒙は日本の生命線」といった宣伝などを見ると日本がどれだけ満州に期待をかけていたのかがわかりますね。

関東軍・石原莞爾中佐と世界最終戦論

日露戦争の勝利の結果、日本はロシアが持っていた満州での利権をほぼその掌中に握ることに成功します。特に重要だったのが南満州鉄道、略して満鉄の利権でした。そして鉄道守備隊として発足したのが有名な関東軍でした。

当時関東軍の中でも重鎮的存在が、陸軍の中でも異端の天才といわれた石原莞爾です。この人は満州を日本にとり生命線であると考えていました。そして自ら著した「世界最終戦論」なるいかにも怪しげな書物の中で、西洋の代表はアメリカであり、東洋の代表は日本であると説きます。また対中国外交すなわち対米外交であり、満蒙問題解決のためには米国との戦争も辞さずという、いわば満州を手に入れるため、実力行使そして対米戦争もやむを得ないとまで考えていたのです。 

満鉄爆破事件そして満州制圧へ

中国すなわち中華民国では、孫文の死後、蒋介石が後継となり中国統一をすすめていました。そして満州を支配していた奉天軍閥の張学良が中華民国に降伏。満州自体は張学良が事実上の主でしたが、日本はこれに危機感を抱き始めます。

そして1931年の9月18日に満州の奉天(現在の瀋陽)近郊の柳条湖付近で日本が所有する南満州鉄道の線路が何者かによって爆破され、関東軍はこれを張学良軍による仕業とし、ただちに満州全域へと関東軍の侵攻作戦が開始されます。11月19日にチチハル占領、翌年1月には錦州を占領、2月には熱河省へと侵攻作戦を開始。ついには中国と満州の境目である山海関にまで到達します。

これに対し中国側はあまりにも日本が横暴すぎるとして事件を国際連盟に訴えようとします。そして事態は国際連盟に持ち越されることになりました。

満州国樹立そして日本の孤立・太平洋戦争へ

念願の満州制圧に成功した関東軍は、かっての清朝最後の皇帝愛新覚羅溥儀を事実上の国家元首とし、新たな国家満州国を樹立します。しかし国際連盟はリットン調査団を派遣し、満鉄爆破事件を関東軍によるものとし、満州国の存在を国際社会では認めないこととします。

これに対し日本の代表である松岡洋右は席を蹴って国際連盟を脱退します。「我が国代表堂々と退場す」とし、当時のマスコミや世論はこれをむしろ喜びました。

しかし国際連盟脱退により、日本はいよいよ国際社会での孤立を深めてゆきます。そして同じく国際社会の中で孤立しつつあったドイツ、そしてイタリアと手を結び、やがては太平洋戦争への道を歩んでゆくのでした。

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