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文化

誰にもわかるやさしい民俗学の話④ 『毎日の言葉』を読む

2020年7月12日

今回は、国語の話をしましょう。国語と言えば、小・中・高校時代は最も面白くない教科だったという印象を、僕はもっていますが、柳田国男が言ったような内容の国語の授業であれば、もっと興味を持てたかもしれません。柳田は、我々が日常何気なく使っている言葉の本来の意味やその歴史的変遷を語ったのです。そんな昔の話し言葉などわかるのかと思われるかもしれませんが、柳田は、古今に渡る膨大な文書を読み、またそれ以上に、各地に残る膨大な方言(地方語)を集め、その中に今では忘れられた昔の言葉の名残りを探し求めて、そうした仕事を成し遂げたのでした。ここではその中のいくつかを紹介しましょう。

オ礼ヲスル

オレイ(礼)というのは、元々の用法では、農村で農民たちが正月や盆に本家や村の有力者の家に、あるいは武家社会では家来が主人の所へ贈り物をもって訪問することであり、柳田によれば、その本来の意味は、「目下の者が、目上に対して従属を誓い、同時に保護の永続を願う厳粛な儀式」だったというのです。

それがだんだんと意味が拡張されて、対等の者同士でもオレイという言葉が使われるようになり、「オ礼ヲスル」というのは、単に世話になった人に物を贈ること、「オ礼ヲ言ウ」というのは、ただありがとうということ、つまりは頭を下げてただ敬意を表すことになったのだといいます。

アリガトウ

そこでこのアリガトウという言葉ですが、今は人に対する感謝を表す言葉に過ぎないものとなっていますが、元々はアリガタイという言葉です。それは字の通り、あり得ないもの、あるのが不思議なものという意味であって、人間わざを越えた神の徳や力を讃えて言った言葉でした。したがって、この言葉は、神と人との関係において使われたのであり、人と人の間で、人に対する感謝としてアリガタイとは言わなかったのです。

それでは人に対する感謝の言葉として、昔はどう言ったのかといいますと、柳田は、カタジケナイ、カタジケノウゴザルという言葉を使ったのだといいます。実際に人と人との関係でアリガタイという使用法は中世以前の文書には見えないというのです。

ところがだんだんと意味が拡大していき、本来は神の力でうれしい状態になった時に言ったことが、うれしい時はいつでもアリガタイというようになり、単なるお礼の言葉になってしまいました。それでも近世までは、身分の低い者から高いものに向かって感謝する場合には「アリガトウ存じます」という言葉を用いましが、逆に身分の高い者から低いものに向かっては、カタジケナイという言葉が残っていて、それが使われていました。しかしその後、身分の上下を問わず、だれに対してもアリガトウという言葉が使われるようになったのです。

こうした事例は何も日本に限ったことではないのであって、例えば、フランス人のメルシーやイタリア人のグラッチェも同様の変化で、本来は「神の恵みよ」という意味で神に対する感謝だったのが、人に対するお礼の言葉になったのです。

なお蛇足ですが、関西の人が「おおきに」というお礼の言葉を使いますが、それは「おおきにありがとう」の省略で明治以後に始まったものと柳田は推測しています。また柳田はこの文章を書いた時期に(それは戦時中のことです)、「どうもありがとう」という言葉が、そのうちに「どうも」だけで済ませるようになるのではないかと心配していますが、皆さんもご承知のように、現代では実際にそうなってしまいました。

スミマセン

いま述べたように、近世ではアリガトウという言葉が、身分の下の人が上の人に対して使われてきましたが、その後、身分の上下に関係なく上の人も下の人に言うようになると、今度は下の人は、何か別の鄭重な言葉を使わざるをえないと考えるようになります。そこで下の人が上の人に礼を言うときに、スミマセンという言葉が新しく使われるようになったのです。

柳田によれば、スイマセンのスムは澄むという漢字をあててもよく、スムの本来の意味は、気が澄む、心が澄むということで、安らかで動揺のないことです。したがってスミマセンというのは、あなたにこのようなことをしていただいて、私の心が安らかではありません(=動揺しています)という意味なのです。若い女性がコマルワという場合と同じです。そうでも言わぬと心が澄まぬほど、予期せざる大きな幸福だということを示しているのです。

同様な言い方に「申し訳ございません」という言い方もありますが、それはスミマセンをもう一段念入りに言おうとした新工夫なのです。言葉はだんだん古臭くなると、いつでもこうした改良がなされていくということです。

イタダキマス

今度はイタダクという言葉です。イタダクはしゃれて「頂戴する」ともいいますが、その字の通り、元来は「物を頭(=頂)に載せること」を意味しました。例えば木や山の頂上がイタダキであり、また頭に魚の桶を載せて売り歩く女たちをイタダキという地方があります。イタダクは、以前は目上の人から物をもらった時に、それを頭の上まで差し上げることを言ったのです。

それが、普段の食事でも、すべて神や君からの御賜物という気持ちで、膳を少し高く挙げて、感謝するようになり、だんだんとそうしたことをしなくなって、ただ食べることをイタダクというようになったのです。これがイタダキマスの本来の意味からの変遷です。

タベルとクウ

そこでそのタベルですが、タベルはタブという動詞の受け身の形(=タバル)として生まれたものであり、給仕する者から見て、目上の人がお食べになるという受け身の意味です。自分で自分の食べ物を食べることは、本来、タベルとは言わなかったのです。受け身のタバルが、音が変化してタベルになり、さらには後に誰でも単に食べることそのものをタベルというようになったのです。

タベルという前は、クウという言葉でしたが、本来敬語であったタベルが上品な言葉としてあまりに普及した結果、クウは何か下品な言葉の印象を持つようになり、とりわけ女性から忌避されるようになりました。しかし元々はそうした下品な意味はなかったのです。

クウのそれ以前の言葉は、ハムでした。ハムは今日、噛む(カム)という意味で用いられている言葉と、元は同じ意味でした。沖縄の島々では今でも、食べることをカムと言っているところがあります。こうして食べるという言葉は、ハム→クウ→タベルと変化してきたのです。

オイシイとウマイ

 食べ物の味が良いという意味のウマイというのは古くからある言葉ですが、今はオイシイという女言葉が幅をきかせ、ウマイは男子のみが遠慮のいらないときだけに使う言葉になっています。そのオイシイという言葉は中世以前の文書にはまったく見当たらぬ言葉だそうです。

 オイシイという言葉の元の形はイミジだと柳田は推測しています。平安時代の文学の中にもイミジイという言葉がよく使われることは、高校時代に習った古文で、皆さんもよくご存じのことと思います。柳田によれば、このイミジイが、西国の方ではイビシイと変化し、東国の方ではイッシイとなったのです。イッシイと発音しても、これを字に書く場合はイシイと書きました。中世に東国の武士勢力が京の都を制圧して武家政権を打ち立てた後には、このイシイという語が書物に表れるようになり、全国に広がります。

その後、特に上流の女性の間で、やたらに頭にオをつけるようになり、名詞だけでなく形容詞や動詞にまでつけるようになりました。それは今日まで続いています。こうしてイシイの頭にオをつけてオイシイとなったのです。この言葉はおそらく京都が原産だろうと柳田は想像しています。

モシモシ

 電話で会話するときに、モシモシという言葉がよく使われます。電話が発明されてからこのモシモシという言葉が作られたのではないかと思う人がいるかもしれません。しかしこれはもともとあった言葉です。実際、路上で人を呼びとめる時に、モシモシという言葉を使うこともあります。

 柳田によれば、モシモシは、元はモウシという言葉だったそうです。妻が夫を呼ぶ場合、今ではアノやネエなどと呼ぶことがあり、さらには名前で直接呼ぶようになっていますが、柳田は、「西洋人のようにやたら主人の名を呼ばぬのが、日本では礼儀であった」というのです。柳田の親の世代でも、妻が夫を呼ぶときは、このモウシという言葉を使ったそうです。また人の家を訪ねる時、今はコンニチワという意味のない言葉を使いますが、昔はモウシと言ったといいます。

モウシの起源は「物申す」であり、モウシはその省略形だといいます。モシモシは気のせく際の重ね言葉で、自然に音が短くなり(モウシ→モシ)、また響きも良いので、よく使われるようになったということであり、電話には都合よく合致したのだというのです。

ボクとワタシ

最後に一人称代名詞を取り上げましょう。柳田はまずボク(僕)から始めていますが、彼はこのボクという言葉が大嫌いなのです。この言葉は、元は日本にはなかった言葉であり、近年(柳田の言う「近年」とはいつの頃か不明ですが、明治維新期前後以降と考えておきましょう)に生まれた言葉だといいます。

元来、この国の言葉は、濁音が少なく、ことにバ行(バビブベボ)の音で始まる言葉は好まれていなかったといいます。もっとも九州や四国の一部では以前から、一人称代名詞とは別のボクという言葉があり、「ボクだ」と言えば「ダメだ」という意味だったのです。ダメという最も良くない意味でボクが使われていました。四国ではボクの代わりにボッコという地方もあり、「ボッコに付ける薬はない」とか「ボッコとハサミは使いよう」という諺も使われています。つまりはボクというのはバカという言葉と元は同じものだったのです。

 それではなぜボクを、自分のこととして使うようになったのでしょうか。柳田は、僕という漢語が中国から入ってきたことに起因すると考えたのです。漢字の僕の発音は、日本人にはボクというように聞こえ、それで僕という字をボクと読むようになりました。中国での僕という言葉の意味は、下僕という言葉があるように、使用人、下男のことです。ところで中国では古来、文章を書く際には(とりわけ詩文など)、物事を大げさに誇張して書く傾向がありますが、中国では、また日本でも、漢文を書く人たちは、相手を尊敬して必要以上に自分をへりくだって、あなたの召使というような誇張した意味で、僕という語を手紙などに書いたりしたのでした。しかしそれは一部の人の文章上だけの語でした。

 ところが、近年になって(おそらく明治の頃以降でしょう)、主として書生たち(彼らは漢籍を読み漢文を書くことを勉強しました)が、口語でも、戯れのような使い方でボクと言い始めたのです。それがいつしか一般化し、聞きなれて誰も変に思う人がいなくなり、また書生というのは良い家庭出身の人が多く、それ故にむしろさも良い言葉のように、少年たちがまねをして広がったというのです。

 柳田によれば、最も古い一人称代名詞は、ワであったといいます。しかし早口でしゃべると、ワだけでは聞き取りにくく、レを添えてワレという言い方が始まったのです。オレというのはワレという発音がわずかに変化した言葉であり、オラというのはさらに「オレは」という言い方を縮めて発生したのだといいます(オレは→オラ)。

 他方で、ワからワタクシという言葉が生まれました。ワタクシはオレやボクより上品で慎み深い言葉と認められました。しかしワでは短すぎると同様、ワタクシでは長すぎるので、縮めてワタシ、ワシ、ワッチ、ワチキと言う者が出てきました。さらには発音が多少変化してアタイ、アテという言葉まで使われるようになったのです。

使い方が乱雑になったとはいえ、それらの言葉は、ボクよりも本来の日本語からの自然二変化し、かつ親しみのある言葉であると柳田は評価するほどに、彼はボクという言葉が嫌いだったのです。ボクという言葉は「今にきっと使う人がなくなるであろう。私はそれを予言することができる」とまで言っているのです。しかし現代の日本でもボクは依然として使われ続けています。今でも僕は僕という言葉を使っています。

以上は、ほんの一部ですが、興味のある方は、直接、柳田の『毎日の言葉』を読んでください。

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