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日本史

米騒動ってどんな騒動?原因と影響をわかりやすく解説!!

国民が一番真剣になること。それは生活費のことです。特に食費は主婦にとっては非常に重要なものとなっていますが、その食費がいきなり3倍となったらどうなるのでしょうか?そんなことが起こったのが米騒動だったのです。

日本近代史上最大の民衆暴動はなぜ起こったのか?今回は、米騒動が起こった原因と影響をわかりやすく解説します。

米騒動とは?

焼き払われた鈴木商店

米騒動とは1918年(大正7年)に発生した、日本全国で民衆が米屋などを襲撃するという「日本近代史上最大の民衆暴動」のことを指します。
当時の日本は第一次世界大戦の戦争特需による好景気ではありましたが、一般国民は決して豊かな暮らしをしていたわけではありません。
豊かさを実感できずに不満が渦巻いていた中、お米の価格が急激に値上がりしていきます。
それにより、庶民がお米を買えずに苦しむことになったのです。
生活を脅かされた人々は各地で暴動を起こし、その規模の大きさに日本社会は大きな衝撃を受けたのでした。

米騒動が起こった原因は?

米騒動が起こった原因としてよく挙げられるのが「シベリア出兵に伴う米の買い占め」です。しかし、これは騒動の原因の一つに過ぎません。
米騒動を引き起こした根本的な原因は、もっと前から存在していました。それは人々の「社会や生活に対する不満」です。
劣悪な環境で働かされている人々も少なくなく、政治や資本主義に怒りを感じていました。
国の近代化が進み世の中が好景気でも、物価が同時に上昇していくため、生活に余裕はなかったのです。
そこに米価の上昇が加わり、庶民はどんどん不満を溜め込んでいきました。

米の需要増加と供給減少

現代の日本と違い、お米を気軽に食べることができたのは上流階級やお金持ちで、庶民は麦やヒエが主食となっていました。
贅沢品だったお米が、一般家庭でも主食となり始めたのは大正時代に入ってからでした。

明治以降に国の近代化が進むにつれ庶民の生活水準も向上し、ようやく日々食べられるようになったのです。
国の発展とともに製造業などの第二次産業が盛んになると、農村から工場へ職を求めて移動する人が増えました。
お米の需要が高まっているにもかかわらず、生産する人が減少していったのです。

また、当時の日本はお米の輸入もしていましたが、第一次世界大戦の影響で輸入量が大きく減少します。
こうして需要の急増に供給が追いつかなくなっていったのです。

米価の急騰

お米を求める人が多いのに、お米の生産量が少なければ米価は上がっていきます。
そこに便乗して、米商人や地主が利益を得ようと「買い占め」や「売り惜しみ」を行い、さらに米価を上昇させてしまいます。

では、米価はどれほど上昇していったのでしょうか。
当時の平均的な月収は18円〜25円でした。
米価は米1石(150kg)の価格です。

1918年1月時点で米1石15円だったのが、6月に20円へと跳ね上がります。
そこからは異常な上がり方を見せ、7月には30円を超えてしまいました。

ただでさえ苦しい生活の上、主食のお米まで買えない状況は庶民の怒りを大きくしていきます。

シベリア出兵で米価を暴騰させた

お米の供給量が減っているところに、追い打ちをかけたのがシベリア出兵でした。
1914年からヨーロッパで始まった第一次世界大戦に、日本は連合国の一員として参加していました。

しかし、戦場は遠く離れていたため直接の参戦はなく、友好国に対して軍需品を供給する役割を担います。
1918年になると、それまで兵器の輸出だけを行っていた日本は、連合国側の要請もありシベリア出兵を決定します。出兵に伴い、政府は軍隊の食料として必要不可欠なお米の「買い占め」を行います。

そこに商人や地主が目をつけ、利益を上げるため同じように「買い占め」や「売り惜しみ」を行い、米価高騰に拍車をかけていきます。
8月2日にシベリア出兵が宣言されると、8月5日には米価が40円に急騰しました。

8月9日にはついに50円にまで暴騰し、社会不安は抑えようのないものとなっていったのです。

米騒動の勃発

魚津の暴動を報道する新聞

ただでさえ社会や政治に不満を溜め込んでいた人々です。異常な米価上昇でお米が買えなくなった怒りが、「買い占め」や「売り惜しみ」でついに爆発します。その怒りの矛先は「お米はあるのに売ろうとしない」米商人や地主たちと、米価高騰に無策な政府に向けられました。

そして米騒動は富山県から始まります。

富山県で主婦が決起

米騒動の始まりは1918年7月23日。
富山県魚津町の主婦約60名が、お米を高値で他に売らせないように集まったのがきっかけです。

その後、他の地域でも主婦たちが続々と集まり、8月6日には東・西水橋町と滑川町でお米の船積み作業員を襲うなど暴れ始めました。その結果、人々はお米を相場より安く購入することができたのです。

この騒動が新聞で報じられると、米騒動は一気に全国へ飛び火します。「自分たちも安く手に入れられる」と、あちこちで暴動を起こしました。

前代未聞の大規模暴動

全国各地に広がった米騒動は、参加人員約70万人、42道府県・38市・153町・177村を巻き込んだ前代未聞の規模となりました。人々は各地で米の安売りを求めてデモをし、米商人や精米会社などを襲撃します。
警官隊との衝突も引き起こし、神戸では「鈴木商店」が米価のつり上げをしたと噂され、焼き打ちにあってしまいました。

この事態に強い危機感を抱いた政府はお米の輸入を進め、安売りも行うことにします。それと同時に軍隊による鎮圧に乗り出し、米騒動を収束させていったのです。
9月17日までに暴動が起こったのは、全国で500ヶ所以上にも上ります。検挙された人々は2万数千人で、そのうち約7800人が起訴されました。
このように米騒動は、日本社会に大きな衝撃を与えたのです。

米騒動がもたらした影響

新しく首相となった原敬

軍隊による鎮圧でようやく収まった米騒動ですが、当時の寺内内閣は世論の痛烈な批判を受け総辞職します。

政府内でもそれまでの、民意を政治に反映しない専制政治では、民衆の不満は抑えられないとの風潮が高まったのです。そして生まれたのが立憲政友会のメンバーを中心とした、日本初の本格的な政党内閣である原敬内閣です。

原敬首相は爵位を持たない衆議院議員として、民衆から絶大な支持を集めていました。「民衆の声を聞いてくれる」との期待が高く、「平民宰相」という言葉も生まれます。

米騒動は民主化への一歩となった

米騒動は民主主義を要求する運動・大正デモクラシーを象徴するような大事件でした。その背景には人々の社会に対する大きな不満があったのです。

米騒動は自然発生的に起こった事件でしたが、決して米不足だけが問題だったのではありません。資本主義に対する不満から米騒動に参加した人も多くいたのです。

こうした不満を浮き彫りにし、ついには内閣を総辞職まで追い込みました。米騒動は結果的に政治に民主化をもたらす民衆運動となったのです。

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