



例えば禁酒法って知ってる?


禁酒法とは?
禁酒法とは読んで字のごとくお酒を飲むことを禁止した法律です。世界各地で制定されましたが、とくに1920年から1933年までアメリカ合衆国憲法修正第18条下において施行されたボルステッド法が有名です。
しかし、この法律はうまくいくどころか余計に悪化することになり1933年に廃止されることになりました。
禁酒法ができたきっかけ
禁酒法が制定されたのには二つの理由があります。
一つ目がアメリカ国民の大半がピューリタンということ。
ピューリタンとはものすごく大雑把に言うとプロテスタントの中でもとても潔癖な人々です。さらに後の時代になっていくとピューリタンは非常に真面目な人々となっていきました。そのため、いろいろ真面目を妨害するお酒が大嫌い。
特にキャリー・ネイションというピューリタンの女性は過激で有名でバーに突撃して酒の瓶などを軒並み破壊していったんだとか。ここまでしなくてもいいんだけどね。
二つ目は第一次世界大戦が勃発したということ。
酒の原料となる穀物が軒並み兵士の食料として使わなくてはいけなくなってしまい、お酒の製造をやめさせたいというのもありますが、さらにドイツに宣戦布告したことでビールを販売しているドイツ系アメリカ人の印象がいっきに悪化していくように。
その結果「ビール=ドイツ=悪」という悪意の満ちたイメージがまかり通るようになり、反禁酒法の主要勢力であるドイツ系アメリカ人は多くの地域で発言力を失って抗議活動も無視されてしまったのです。
こうした流れで1920年1月16日にアルコール飲料の製造・販売・輸送を全面的に禁止にするアメリカ合衆国憲法修正第18条いわゆる禁酒法が制定されることに。その結果これまで州ごとに決められていた禁酒法が全国的に拡大することになってしまったのです。
禁酒法の弊害

禁酒法が制定されたおかげでアメリカ国内での酒の製造は停止しましたが、そうなっただけで人々がお酒を飲むことをあきらめることはありませんでした。まぁこんな法律誰も守るわけがありませんよね。
ではどうなったのかというと国境近くの人であればカナダに入ってお酒を飲むようにしたり、それ以外の人は密造酒と密輸酒があふれかえった潜り酒場に通いつめたりしていました。ちなみに禁酒法施行前にはアメリカ最大の大都市ニューヨークには1万5000店しかバーがなかったのですが禁酒法の時代には3万店もの闇バーがあったんだとか。まさしく本末転倒。
さらに、シカゴでは禁酒法をごまかす者のための避難所として有名になり、これをビックチャンスと考えたギャングたちが密造酒や密輸酒などを販売開始。
酒場の利権争いがヒートアップしてしまい、アル・カポネといったギャングたちは荒稼ぎしたのです。つまりアメリカのお金が海外と闇に吸い取られてしまったのですね。
結局禁酒法のおかげでギャングによる犯罪が劇的に増加。禁酒法自体は1933年で連邦法が廃止されたことで全国的な禁酒は解除されましたが、アメリカ社会はギャングたちがのさばったおかげで滅茶苦茶になってしまいました。
教訓:何事も禁止すると弊害が生まれる



