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文化

あの柳田国男は何を書いたのか?誰にもわかるやさしい民俗学の話⑤そもそも日本人はどこから来たのか『海上の道』を読む

これまで日本人の宗教や言語について書いてきました。それではその日本人はどこから、どのように日本列島にやって来たのでしょうか。そのことを記したのが柳田国男最後の著書『海上の道』でした。

 ここで前もって私見を述べておきましょう。私は、日本人の祖先がどこかほかの地方から来たのではなく、大昔に北や西や南からこの列島に入り込んだ様々な人々が混ざり合って日本人になったのだ、と考えています。柳田のような問いの立て方は、稲作を持つ人々だけが日本人であり、縄文人は日本人ではないという前提ですが、私は、縄文人は既に日本人であり(日本という国号はまだないにしても)、後に稲作技術とそれを持つ人々とを受け入れたものと理解しています。海外から人や技術を受け入れることは、その後も数多くあり、そうした人や技術を日本化していくことが日本の大きな特徴なのです。

したがって日本人はどこから来たのか、という問いではなく、稲作を持った人々がどこから来たのかという問いとして、柳田の説を見ていきましょう。

ヤシの実

1898、東京帝国大学2年の柳田国男は夏休みで愛知県伊良湖岬のある村に滞在中、海岸に流れ着いたヤシの実を三度まで見つけました。その経験を帰京後に友人の島崎藤村に話したのです。それが今では誰もが知る有名な詩ができたきっかけでした(後に歌にまでなりました)。

名も知らぬ遠き島より 流れ寄る椰子の実一つ。故郷(ふるさと)の岸を離れて 汝(なれ)はそも波に幾月・・・・

ヤシの実はどこから来たのでしょうか。ヤシの木は琉球列島でさえ自生もしていないし、植えても実はならないのです。であれば、そのはるか南方からやってきたということです。しかもヤシの実の漂着は、柳田がたまたま見つけた伊良湖岬だけではなく、日本の各地に漂着した記録や、ヤシの実から作られた酒徳利や盃、煙草入れなどがあるからです。それは、琉球列島においても同様であり、沖縄本土よりも宮古・八重山といった先島諸島に行くほど、ヤシの実の漂着は多いのです。

つまりは南方から琉球列島を通り日本の本土に至る「海上の道」が確かに存在している、大昔からのヤシの実の漂着と同様に人間も漂着しているにちがいない、これが、柳田が「海上の道」という構想を考えた最初のきっかけでした。

こうして柳田は、最初の日本人は琉球列島の先島諸島のどこかに、ヤシの実と同様に漂着したのだと考えました。しかしヤシの実とは異なり、人間はそう長く漂流し続けることはできません。生き延びることができる限度の距離しか漂流できないのです。ですからその人の故郷はそう遠方ではなかったと言えましょう。しかもその人が最初の日本人となるためには、もう一度故郷に引き返し、必要なものを整え、また妻子や朋友を伴い、永住する計画を立てて戻ってこなければならなかったのです。

宝貝

しかし一度は漂流した危険と不安を冒して、あえて再渡航までしようと、どうして考えたのでしょうか。その地はそれほど魅力のある土地だったのでしょうか。柳田は、そのとおり、それほどに魅力ある土地であったと言います。そしてその魅力とはその地に多く産する美しく輝く宝貝なのだと考えたのです。

今日の我々から見れば、たかが貝拾いが命を懸けてまでも、そんなに魅力があるのか、柳田は冗談で言っているのか、と考えざるをえません。しかし柳田は大真面目なのです。柳田によれば、金銀、宝石などは当時まだ岩の中に眠っていて、それを精錬・鋳造(溶かして形を作る)する技術はまだなかったのです。秦の始皇帝が銅の通貨を鋳造する以前では、中国の最も貴重な宝はこの宝貝であり、その中でも二種の子安貝は、中国の人々にとってあらゆる欲望と願望の中心だったと言います。しかもその貝は中国沿岸には生息せず、はるか南海の果てまで行かねばならず、そこまでの陸路は当時通じていなかったのです。またたとえ行くことができても、必ず手に入るというものでもなかったのです。

ところが琉球列島近海のサンゴ礁の上こそ、あらゆる種類の宝貝の一大生息地だったのです。とりわけ宮古島近辺は、広い地域に渡ってサンゴ礁が広がり、宝貝の最も豊富な産地なのでした(ちなみに日本最大のこの卓状サンゴ礁群は、現在は、「八重干瀬(やびじ)」という名称の国の名勝及び天然記念物に指定されています)。しかも宮古島は近世に至るまで唐人漂着の事例は数多く、やがては帰って行ったという話さえ伝えられているというのです。こうして柳田は日本民族の起源を、おそらくは宮古島に漂着した中国大陸の人間が、測らずもそこに驚くべき程に散乱した宝の山(=宝貝)を見出して魅せられ、必要な品々と家族を伴って再渡航した、という点に見出したのでした。

しかし柳田も読者の反応を予測していたのでしょう。この日本民族起源説は、「あまりにたよりない夢か伝奇のよう」に思われるかもしれない、とわざわざ書いています。しかしこれよりも説得ある説を私(柳田)は聞いたことはないとして、自らの仮説の現時点での有効性を主張したのでした。

南島から本土へ

しかしその後、金や銀が精錬・鋳造され、貨幣が作られるようになると、宝貝の需要は無くなくなっていきました。彼らが移住した際に携えてきたのは、稲作でした。種籾や農具とその技術、それに伴う信仰と生活習慣です。彼らは、宝貝の採集をやめ、それぞれの島々で安んじて稲作農耕に専念するようになります。もちろん漁業もしたでしょうが。

ところがサンゴ礁の隆起でできた琉球列島の山のない平べったい島々は、稲の生育のための水が十分ではないのです。ほとんど雨水だけに頼った稲作は、雨量の乏しい年には苦労をし、干ばつにあえば致命的なものになります。こうして彼らは、水利の良い山のあるより大きな島を求めて、ヤシの実と同様「海上の道」を通り、島々を北上していったのです。今度は宝貝を求めてではなく、稲作のより良い適地を求めて、島々をたどり、ついには日本本土に達したのでした。もちろん本土に達してからも、海沿いに、あるいは川をさかのぼり、さらなる稲作地を求め、さらに北上したのです。

 そのことは、日本の稲作灌漑様式の発展段階にも表れていると、柳田は言います。灌漑様式の発展は、次の4段階を経てきたと言います。雨水だけに依存した①「天水場」、山からのわずかな流れだけを利用した②「清水掛り」、池を築いて水を溜めた③「池掛り」、川をせき止めて水を引く④「堰掛り(いがかり)」というように。この発展が、まさに南の島々から水の豊かな広い土地に段々と移っていったコースを示しているのだと。

 この間の極めて長い長い期間に渡って、日本人が形成されたと柳田は考えたのでした。彼らが始めに持ち込んだ稲作とそれに伴う信仰や生活習慣は、幾たびか細かなところで変化をしていようとも、基本のところでは連続性が認められるのであり、そうであれば彼らこそまさに日本人の祖先といってもよい、というのです。

 以上が、柳田の構想した「海上の道」という壮大な、そして「奇矯な」仮説です。柳田自身もいまだ道半ばの仮説と十分自覚していたのでしょう。彼はこう書いて結びの言葉としています。「やや奇矯に失した私の民族起源論が、ほとんど完膚なく撃破せられるような日が来るならば、それこそ我々の学問の新しい展開である。むしろそういう日の一日も早く、到来せんことを私は待ち焦がれている」と。

柳田説の破綻?

稲作といっても、畑で作る陸稲(りくとう、おかぼ)というものもありますが、稲作を水稲(水田稲作)に限定すれば、柳田が言う「海上の道」という仮説は、今日から見て極めて疑わしいものであることは周知のことです。陸稲は既に縄文時代には伝わり栽培もされていたようです。稲作研究や考古学から、水田稲作に関しては様々な研究成果が出されていますが、中国大陸の長江流域から直接に、あるいは朝鮮半島経由で日本に渡り、まず北九州の地で始まったことは確かでしょう。そこから、一方では南下して琉球列島に至ったのであり、柳田の「海上の道」とは逆のコースです。他方で北九州から西に向かい日本中に広がっていったのです。そうであれば柳田の「海上の道」は、陸稲をもって琉球列島の島伝いに渡ってきた人々も、あるいはいたのではないか、というぐらいの仮説にすぎないと言えましょう。いわんやその人々こそが日本人の祖先であるとは到底言えないと思います。

しかし柳田が生涯最後のこの著書で「奇矯な」仮説までも提起しながら切望したのは、「日本人とは何か」(「日本人はどこから来たか」という柳田の問題設定はそのイントロダクションにあたるでしょう)ということを追求する学問が、これから是非にも大いに発展してほしいという切実な願いであったと、私には思えます。私の見る所、戦前から今日まで、イデオロギーや思い付きの日本人論は大量に出回っているとはいえ、現在に至るまで、きちんとした学問とはなっていないと言ってよいでしょう。

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