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政治用語

最近問題となっている一国二制度や香港の問題について解説!

2020年6月8日

2019年に始まった香港の民主化デモ。2020年に入っても終息の兆しは全く見えていません。一見すると単なる政治的な要求だけに見えますが、実はその裏には香港独自のシステムや制度が関連しているのです。

今回はそんな香港のデモについて一国二制度やその原因についてみていきたいと思います。

一国二制度の概要

1つの国に、2つの制度という意味。「制度」とは「経済」のこと。中国という「1つの国」の中で「2つの(別の)経済」制度、ということです。当初は、台湾を中国に組み込むために考えられた構想でした。

「中国の中の地域だけど、台湾では別の経済システムを認める」と中国は言いたかったのです。現在は、香港とマカオに実施されています。

台湾を中国に組み込むための制度なのに、香港とマカオ……?

どういうことなのかまずは、一国二制度の歴史を見ていきましょう。

台湾の歴史

昔から中国本土やオランダ、スペインの植民地でもあった台湾。

日清戦争の結果、割譲されて日本の植民地となります。以降約50年間、日本の支配下にありつつつも経済的には発展しました。

第二次世界大戦後には、敗戦国の日本から戦勝国の中華民国(当時の中国)に返還されます。当然台湾の人々は喜びました。

ですが台湾の統治にやってきた蒋介石率いる中国国民党軍は、略奪、暴行を頻繁におこします。あまりの粗暴さに「犬が去って豚が来た」と言われたほどです。

日本軍が犬で、中国軍が豚ですね。日本人は江戸時代の教育によって法と規律を守る民族です。対して中国には、法・秩序・規律を守る文化はありませんでした。現在はどうでしょうね?

日本人と中国人の気質の差もあったのでしょうが、彼ら国民党軍が敗残兵だったというのも粗暴さの理由の一つだと思われます。台湾に来る前に、毛沢東率いる共産党軍との内戦に敗れ疲弊していたのです。

結果として日本人の撤退後、乱暴狼藉、粗暴行為の頻発に中国政府に対して反乱がおきてしまいます。この中国政府とは、台湾を統治していた国民党勢力です。中華民国はその後中国国民党による開発独裁を40年近く行っていくことになります。

つまり国民党の統治よりも日本の統治の方が良かったと思われたのです。だから植民地支配という歴史があったにもかかわらず対日感情が良いんですね。

この時から現在に至るまでずっと、台湾出身者と中国本土出身者の対立が続いています。

その後毛沢東率いる共産党が、中国本土に新たな政権を樹立。今に続く、中国共産党による中華人民共和国の誕生です。

一方の国民党も(台湾にいるのに)中華民国としての正統性を主張。中国本土の中華人民共和国と、台湾の中華民国、2つの政府が両立することになりました。これを「台湾問題」(当事国では「両岸問題」)といいます。

この「台湾問題」を解決するために中国共産党が練り上げた構想が、「一国二制度」です。

「台湾政府(中華民国政府)を特別行政区として認める。でもあくまで「1つの中国」であり、台湾も中国政府の管理下にありますよ。」という形で台湾を認めつつも、体裁を整えようとしているのです。

もとは、台湾が中国の統治下にあると主張するための構想だったんですね。

「特別行政区」の構想を発表したのは1981年の葉剣英。「一国二制度」に関しては、1982年の鄧小平です。

しかし特別行政区及び一国二制度が現在適用されているのは、香港とマカオ。

1997年7月に香港が中国に返還。同じく1999年12月にマカオも返還されました。この2つの地域に関しても見ていきましょう。

マカオの歴史

マカオは16世紀頃からポルトガルの「租借地」でした。「租借地」は「植民地」とは違いただ借りてるだけの土地です。

当時の中国大陸の国家明に土地代を払い、貿易の中継地点としてポルトガルが利用していたのです。

徳川幕府の鎖国、列強の植民地政策、アヘン戦争……周辺諸国に翻弄され繁栄と衰退を繰り返すマカオでしたが、19世紀末にポルトガルの植民地となってしまいます。

植民地となったマカオですが、世界大戦中は平穏でした。ポルトガルが中立を保ったため、マカオも日本軍やその他勢力に狙われず中立港として機能しました。

むしろ戦争特需によりマカオは潤ったといいます。舞踏会や演奏会が催され、賭博場やレストランが賑わい、マカオは発展しました。貿易港であり、欧米人の保養、観光地でもあったのです。

そのままマカオは繁栄していくかと思われましたが、第二次世界大戦後の1974年、ポルトガルでカーネーション革命が勃発。その結果、ポルトガルは海外領土をすべて破棄することに。マカオも中国に返還されることになりました。

もっとも実際の返還はポルトガルの申し出から、20年以上待たされてからとなります。これ、同様にイギリスの植民地だった香港に与える影響を、小さくするためだったと言われています。

1999年の返還後は、それ以前と同様の制度が50年間保全される「一国二制度」が適用されています。

マカオは「特別行政区」として、認められているのです。

香港の歴史

香港はアヘン戦争までは清朝(当時の中国王朝)の支配下にありました。他の大陸地域と同様、中国の一部だったのです。

当時の清朝は、イギリスを中心としたヨーロッパ諸国と貿易をしていました。

清朝からは絹、茶、陶磁器などが輸出され、特にイギリスの富裕層で清朝の茶がブームになります。今でもイギリス人には紅茶のイメージがあると思いますが、この頃から始まった文化ですね。

ですが反対にイギリスからの輸出品は、あまり売れません。イギリスの対中貿易を常に大幅な赤字。そこで目を付けたのがアヘンです。アヘンは薬として利用されていましたが、麻薬の一種でもあります。

麻薬なので中毒になってしまえば継続して売れます。ですが当然清朝国内には麻薬中毒者が溢れかえってしまいます。

事態を重く見た清朝がアヘンの売買を禁止しました。厳しく取り締まります。これに反発したイギリスと武力衝突にまで発展してしまった結果、圧倒的な軍事力の差でイギリスの勝利。これがアヘン戦争です。

その後も清朝とイギリスの争いは続きますが、この戦争の結果として1842年に清朝からイギリスに割譲されたのが香港です。ここから貿易の中継地点として、香港は発展していきます。

第二次世界大戦中に4年間だけ、日本が香港を支配しますが、日本は戦争に負けてしまいます。第二次世界大戦が終わると、日本は撤退していきました。

中国はイギリスに香港の返還を求めますが、当時は中国共産党と中国国民党の内戦中です。イギリスは無視して香港に上陸し、中国にも香港にかまっている余裕はなく、うやむやにされ続けてきました。

その後共産党が内戦に勝利して中華人民共和国が成立しましたが、共産党政権を嫌った難民が香港に多数押し寄せました。そのため、「共産主義国内の資本主義地域」という不思議な状況になったのです。

冷戦時代になると朝鮮戦争、ベトナム戦争、カンボジア内戦などの戦争特需と難民による豊富な労働力によって、驚異的な経済発展を遂げます。

世界的独立運動の流れによって、イギリスから中国への返還が決まったのが1984年。1997年に返還され、「特別行政区」となりました。

その際マカオと同様に「一国二制度」を50年間は維持して、返還前と同様に資本主義政策体勢が続くことを、中国は約束しています。

第二次世界大戦のころまでの台湾、マカオ、香港それぞれの歴史を簡単に見ていきました。

歴史的な背景は全然違うことが、分かってもらえたと思います。

簡単にまとめると……

ポイント

・台湾  日本支配ののち中華民国の敗残兵が押し寄せる

・マカオ ポルトガルの支配下で、貿易港、遊興地として発展

・香港  イギリスの支配下で、貿易、経済の拠点として発展

という形です。マカオと香港は似ていますが、台湾は随分違いますね。

中国の周辺の現在

この差が、現在の「一国二制度」に対するそれぞれの受け止め方の差に繋がっています。続いて、戦後から現在の様子を見ていきましょう。

マカオの現在

まずは一国二制度が上手くいっているマカオからです。

マカオでは、1966年に暴動が発生。それによってポルトガル政府の権威が失墜します。さらに中国への返還が近付くにつれて、利権争いで暴力団の抗争が激化して、治安が悪化。治安回復には中国軍に頼るしかなかったのです。

さらに返還後の2002年、カジノ経営権を外国資本に開放。これによって、マカオは華やかなエンターテイメントシティとなり、急激な経済発展を遂げたのです。

マカオではこのように、中国の支配によって何もマイナスの出来事が起こっていない上にプラスになっています。若者たちを始めとして、皆が「一国二制度」のもとでその恩恵に与っているから、受け入れられているのです。

香港の現在

では、似たような歴史をもつ香港はどうでしょうか?

香港では、返還前に暴動などのマイナスの出来事が起きていません。しかも中国に返還される時点で、香港は既に経済、金融、貿易、そして観光都市として高いレベルまで発展していました。

だから、中国政府の統治を望んでいる人は少なかったのです。

返還前に海外に逃げ出す人がいたり、返還後も現在に至るまで「イギリス領復帰」を求める人がいたりするのです。

しかも50年間の「高度な自治」を認めていたはずなのに、近年中国政府が香港内の親中派を通して、圧力をかけてきています。

香港の行政長官の選挙をめぐっておきた雨傘運動

行政長官とは首長のことで、日本の内閣総理大臣にあたります。香港は「国」ではないとはいえ、自分たちの首長を自分たちで選びたいというのは、自治組織として当然です。

中国政府が民主派の立候補者を排除したことから、民主的な選挙を求めて抗議活動が起こりました。79日間にも及んだデモの参加者が、雨傘をさしていたことから「雨傘運動」と呼ばれています。

逃亡犯条例改正案のデモ活動

現行法の抜け穴を防ぐための改正案ですが、その結果「一国二制度」が崩壊することを香港市民は嫌がっています。

改正案が通れば、香港市民も実質的に中国当局の取り締まり対象になる恐れがあるからです。それでは「自治」ではありません。

香港の「自治」そのものが失われようとしているため、若者も含めて香港市民全員が必死なのです。

2020年5月にも、「国家安全法」をめぐるデモが発生して、100人以上が逮捕される事態になっています。

イギリスの下で資本主義都市として発展してきて、ロンドン、ニューヨークと並ぶ世界三大金融センターの一角にまで数えられる香港。一党独裁体制の中国に組み込まれることを望む市民は少ないでしょう。

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台湾の現在

最後に台湾です。

台湾は前述の通り日本の植民地支配の後、蒋介石率いる国民党に統治されました。

ですが、国民党の評判は悪く最初からいた台湾人と中国大陸から来た人々が対立します。

元から台湾に住んでいた人々を本省人、中国本土出身の人々を外省人と呼んで区別し、両者の対立は今にまで続いています。

戦後の流れをくんで国民党が政権を握っていましたが、2000年ついに本省人中心の民進党が政権を担うことになります。ここから台湾の民主化、経済発展が始まります。

国民党が政治を独占していた間は、ある意味「一国二制度」に近い状態だったためか中国も手を出しませんでしたが、民進党政権になると中国は危機感を抱きます。台湾が独立、民主化の動きを見せたからです。

その後現在まで、民進党中心の独立派と国民党中心に中国本土との統一を原則とする統一派が、国内を二分して争っています。

現在の台湾は民進党が政権を握っているので、独立派が優勢です。近年の香港が中国政府に締め付けられ、デモ活動から分かるように苦しんでいるからでしょう。

台湾総統の蔡英文氏は、香港を見て「香港は一国二制度が失敗し、秩序を失っている」と言っています。

また、「平和、対等、民主主義、対話という言葉を繰り返したい。中国政府が台湾をおとしめ、中台間の現体制を弱体化させるために『一国二制度』を利用することをわれわれは受け入れられない。われわれはこの原則を堅持する」とも語っています。

あらためて「一国二制度」の受け入れを求められている台湾、少なくとも現総統の蔡英文氏は香港を失敗例としてあげて、香港のようになりたくないと言っているのです。

最後に

各国が「一国二制度」によってどうなったのか。そしてそれに対する反応は。簡単に表にしてみました。

一国二制度の考え 一国二制度の受容度
マカオ  経済発展、治安回復  受け入れ
香港 民主的政治、自治の侵害 崩壊しつつある
台湾 香港のようになる恐れ 拒否

それぞれの歴史あっての現在ですから、同じ制度への反応が違うのも当然です。

台湾はこの先も拒否し続けるのか、また拒否を続けられるのか。

マカオや香港は約束した50年後、どうなるのか。一国二制度がこの先どうなるのかは、誰にも分かりません。

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