日本は法治国家ですが、いろいろな問題が起こった際には「日本は法治国家ではない」といった批判が起こることがしばしばあります。
法律の言うことを聞かないことをいわゆる法治制度が崩れるということなんですがそれらの意味がいまひとつよくわからないと感じる人も多いのではないでしょうか。今回は法治国家の意味を解説していきます。
この記事の目次
法治主義とは
法治主義とは、法律に基づいて国を治める主義(考え方)です。そのような国を法治国家といいます。
当たり前の説明のように思えますが、似た言葉に「法の支配」があります。しかし「法治主義」と「法の支配」は別の概念ですので注意が必要です。
法治主義は「法が国を治める」主義
法治主義は、プロイセン(現在のドイツ)で発達した考え方です。
では、それ以前は「何」が国民を拘束していたのでしょうか。それは国王や皇帝です。
日本で言えば十七条の憲法は(通説では)聖徳太子が、徳政令は朝廷や幕府が、生類憐みの令は徳川綱吉が定め、国民を従わせたものです。
国民の意見が反映されて、これらが生まれたわけではありません。
プロイセンで法治主義が発達した当時のヨーロッパでは、フランス革命をはじめとして「国王による統治」から「国民による統治」への転換が発生していました。
こうした国々は「国王(皇帝)」に代わって国を統治するものとして「法」をおきました。
法の支配は「法が国家権力を制限する」考え方
一方、「法の支配」はイギリスで発達したもので、法律が国家権力を制限する考え方です。この法律の代表が、憲法です。
例えば日本国憲法で頻繁に書かれている「強制されない」「保障する」といった言葉は、言い換えれば「国家は国民に強制してはならない」「国家は国民に保障しなければならない」となり、それを怠った場合は憲法違反となります。
もちろん、違反しているのは国民ではなく、国家権力です。
近代の法治主義の誕生
教科書では、トマス・ホッブズ、ジャン・ジャック・ルソー、ジョン・ロックの3名がセットとして登場したと思いますが、特にルソーの著書『社会契約論』が大きな役割を果たしています。『社会契約論』では国王が権力を握る国家とは別の共同体のあり方を示しています。
法治主義と共和国
国王が支配する国は王国です。
一方、国王がおらず国民が自ら統治する国は共和国と言います。
そのため法治主義は、絶対君主の国王などが不在の、共和国と相性がよい考え方です。
実際にドイツは国王がいたプロイセンからドイツ革命を経て、ヴァイマル(ワイマール)共和国が成立しました。
法治主義と議会
国王がいない場合、国民から選ばれた議員による議会が法律を定めることになります。
この議会に参加する、あるいは誰を議員に推薦するか投票する権利が参政権です。
男性のみに参政権があった国・時代もありますが、これは、女性は自らが何に従うかについて全く関与できなかったことを意味します。
国王と法治主義
国王による統治である「絶対君主制」に問題があることは容易に想像ができます。
良い君主であれば良い統治が、悪い君主であれば悪い統治が行われるため、非常に不安定になります。
しかも、国民は良い君主を選ぶ権利はありません。
一方で、国王がいるからといって法治主義による国家運営できないかというと、そんなことはありません。
例えばイギリスには国王はいますが、国民主権の民主主義国家であり法治国家です。
イギリス国王がイギリス首相やイギリス国民を無視して法律を好き勝手に定めたり、誰かを処刑することはできません。
日本の天皇も、日本国憲法上の位置づけとしては議論がありますが、少なくとも統治権力は持っておらず、日本は議会制民主主義による法治国家です。
大統領(および日本の知事・市町村長)と法治主義
日本の首相は、国会議員により選出されるため、日本国民は直接的に首相を選ぶことはできません。
一方、アメリカの大統領のように国民が直接投票できる場合もあります。
日本でも、都道府県知事や市町村長は、都道府県民、市町村民が直接に投票した結果で決まります。
日本の首相のように選出に直接関与できないにせよ、アメリカの大統領のように直接選ぶ場合にせよ、法治主義であれば首相や大統領は法律に従う必要があるため、絶対君主制のような極端な不安定さはありせん。
これは法治主義のメリットです。
法治主義の問題点
一方で法治主義には問題点もあります。最も有名な例は、ナチス・ドイツの登場です。
ナチス・ドイツを、アドルフ・ヒトラーによる革命等により生まれた国家体制と考えている方もいらっしゃるかもしれませんが、それは間違いです。
ヒトラーは、当時のドイツの法律に正しく則り、国民の支持を得てドイツの首相・国家元首となりました。
その過程には法治主義的には何ら問題はなかったのです。
結果論ですが、ナチス・ドイツが生まれた要因はヒトラーを首相にした当時のドイツ国民や議会にあったと言えます。
法治主義の具体例(1)大阪都構想の大阪市民住民投票
大阪維新の会が構想した大阪都構想について、2015年5月に大阪市で住民投票が実施され、僅差の反対多数で否決されました。
この住民投票の時点では、大阪市長の橋下徹氏、大阪府知事の松井一郎氏とも、大阪都構想を推進する中心的な存在でした。
しかし日本は法治主義ですから、府知事、市長がいかに大阪都を実現しようとしても、独断では法律を変えることはできません。(各議会も関係しますがここでは省略します)
そこで、大阪市民が直接に大阪都構想の是非に意見する場を設けたのが住民投票です。
結果は、既に記載した通り反対多数で否決されました。
ここで興味深いのは、その半年後の2015年11月の大阪都知事・市長のダブル選挙で、再び大阪維新の会に所属する都知事(松井氏)と市長(吉村洋文氏)が当選したことです。
つまり大阪維新の会が推進する大阪都構想には大阪市では反対多数なものの、大阪維新の会のメンバーが大阪府知事、大阪市長として役割を果たすことには大阪都民・市民の一定の支持があることになります(ただし住民投票と異なり、対立候補の存在も関係します)。
法治主義の具体例(2)イギリスのEU離脱問題
2016年、イギリスがEUから離脱する通称「ブレグジット(Brexit)」についての国民投票が行われました。
その結果、投票者の過半数が離脱に賛成し、2020年1月に正式に離脱しました。
しかしその経緯には首相の交代や3度の離脱延期という多数の問題があり、離脱は難航ました。
国民投票の結果を受け、当時のイギリス首相ジェームズ・キャメロン氏は辞任し、テリーザ・メイ氏が首相となります。
しかしブレグジットは、あまりにも国内・国際的な各種の問題を検討しないまま、単に「離脱する」という国民多数の意見だけで決まってしまいました。
そのため、離脱をしつつも各種の問題を穏当に解決しようとすると、ある意味で中途半端な離脱案となってしまいます。
それに対しイギリス議会は中途半端な離脱案に反対し、一向に離脱は進みませんでした、
このためメイ首相は離脱時期の延長を3度EUに申し出ることになり、最終的に辞任します。
後継のボリス・ジョンソン首相となり、ようやく離脱することになりました。
この問題は、「主権者である国民が、その問題に対して自分が意見している内容や、その結果として起こることを、正しく認識していなかった」という点が大きいように思われます。またブレグジットに関しては、国民の一時的なEU離脱への感情の高まりも大きな影響があったと思われます。
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現代の法治主義の重要なポイント
以上から、法治主義は優れた面が多いものの、問題点もあることが分かります。
そして大きな問題を防ぐには、主権者たる国民・市民が正しく情報を得て冷静に判断することが必要です。
しかしながら、現代ではSNSなどによるデマやフェイクニュースの問題が大きくなっています。
また本来は国民に公開されるべき内容を政府が明らかにしない場合もあります。
このような状況の中で、私たちはいかに正しい情報に基づき正しく選択するか、といったことが、現代の法治主義では問われているのかもしれません。