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政治用語 日本史

軍部大臣現役武官制ってどんな制度?日本が軍国化した原因となった制度について解説!

2020年8月24日

日本が戦争に踏み込んだ大きな原因の一つに軍が思いっきり大暴走してしまったということがありますが、その軍が暴走するきっかけとなった制度に軍務大臣現役武官制というものが存在していました。

果たしてこの制度がどうして軍の暴走を引き起こしてしまったのか?今回はそんな軍務大臣現役武官制について解説していきたいと思います。

軍部大臣現役部官制とは?

軍部大臣現役武官制とは陸軍大臣・海軍大臣(まとめて軍部大臣という)は現役の大将・中将から任用するとした制度のことで、政治に対し軍部の独立を狙って制定されたものです。
この制度は1900年に山県有朋内閣時に成立して1913年に改正、そして広田弘毅内閣時の1936年に復活した歴史を持っています。これにより軍が内閣の成立を左右しうることとなり軍が暴走する下地となりました。

1900年の軍部大臣現役部官制の成立

なぜこの制度を作ったか?

軍部大臣現役武官制は政党政治の高まりから軍政に政党政治が浸透してくるのを防止するため、1900年に山県有朋内閣が軍部大臣の資格を現役の武官の大将・中将に限るという軍部大臣現役武官制を制定しました。
軍人でないものが大臣になれない仕組みを作ることで、政党の力が軍政に及ばないようにすることは目的です。

制度の問題

この制度により、軍部は自分たちの意見が内閣に受け入れられない場合に,軍部大臣を辞めさせたり,後任を出さなかったりすることで,内閣を総辞職に追い込むことができました。この制度の一番の問題点は陸軍や海軍が気に入らない人物が内閣を作ることを阻止できることです。

また、軍部の要求に反対した内閣は倒壊し、次の内閣はより軍部の言うことを聞くように仕向けられるようになってしまいました。つまり、この制度が成立したことで軍部は内閣の成立や存続に関わることができるようになったことにより、自分たちの意向をより政治に反映できるようになったのです。

なぜ内閣に影響を与えられるのか?

大日本帝国憲法では、内閣総理大臣は「同輩中の首席」として天皇を補弼するものであり、今の日本国憲法とは違い、総理大臣の力は強くありませんでした。そのため各大臣は内閣総理大臣が直接任命するのではなく天皇によって任命されていました。

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また、陸軍大臣や海外大臣はそれぞれの軍の内部で推薦し、その推薦者から天皇が任命するので、内閣総理大臣が大臣にしたい人がいても陸軍、海軍が推薦しなければ天皇が任命できず、内閣総理大臣への推薦があっても軍部の反対で内閣が成立しませんでした。

制度の影響

1912年に日本はポーツマス条約を結んで日露戦争を終わらせましたが、賠償金を獲得することができず、借金である国際に支払いをおわれ、財政は厳しいものとなっていました。しかし陸軍は、西園寺公望内閣に新たに二個師団(10000〜20000人)を要求します。ですが西園寺内閣が拒否したため、当時の陸軍大臣である上原勇作陸軍大臣が勝手に辞任したあげく、陸軍が後任を出さなかったため西園寺公望内閣は総辞職に追い込まれました。
結果として軍による合法的な倒閣が実現されるようになり、この改変は「陸軍のストライキ」や、「陸軍による毒殺」とまで言われるようになりました。

軍部大臣現役武官制の改正

陸軍の強引な内閣の倒し方に国民は強く反対しましました。この世論を受けて第1次山本権兵衛内閣は軍部大臣の資格として現役でなければならないとした規定を改正し、非現役(予備役、後備役、退役)でも大将・中将であればいいとしました。この改正により軍部の内閣への影響力を弱めようとしました。
ちなみに現役ではないという意味についてですが、軍の役職についていないのが予備役、定年の65歳から6年間は後備役とされていました。

なお、軍部大臣現役制は事実上廃止されましたが、実際の運用ではこの予備・後備役・退役の将官などから軍部大臣に任命した例はなく、一度現役に復帰してから大臣を任命するという形でした。

軍部大臣現役武官制が復活

改正により、なくなった「現役」という文字は広田弘毅内閣時の1936年に陸軍の要求を受けて復活することとなりました。

なぜ「現役」は復活したのか?1936年に陸軍青年将校たちによる二・二六事件が起こります。

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これは陸軍内部の皇道派と呼ばれた軍人たちが現在の政府や軍の上層部を排除する、クーデター未遂を起こした事件です。この事件の後、陸軍は日本全体を戦争に向けて変えていこうとする、統制派と呼ばれる軍人たちに主導権が移ります。
この二・二六事件が起きた際、内閣総理大臣であった岡田啓介の後に内閣総理大臣に推薦されたのが広田弘毅でした。広田弘毅が内閣を作るにあたって、陸軍は、陸軍大臣の推薦や組織の人事、軍備の拡張などの要求を突き付けました。こうして陸軍の政治的発言力が強まり,広田内閣は軍部の要求を受けて,軍部大臣現役武官制を復活させたのです。(ここでいう「復活」とは軍部大臣は現役でなければいけないという規定です)

軍部大臣現役武官制復活の影響

宇垣一成内閣の不成立

広田内閣は軍の要求を受け入れていますが、その陸軍のプレッシャーもあり総辞職しました。その後、内閣を作ろうとしたのが陸軍出身の宇垣一成です。しかし、宇垣一成は軍縮を決めた陸軍大臣であったことなどが理由で、陸軍との関係は良いものではありませんでた。そのような背景もあり、陸軍から陸軍大臣が推薦されず、内閣は作られませんでした。

米内光政内閣の崩壊

ナチスドイツがヨーロッパで猛進撃を続ける最中、内閣総理大臣となった米内光政は陸軍と最初からうまく行かず、陸軍による米内内閣倒閣の動きは就任初日から起こっていたようです。陸軍は日独伊同盟の締結を求めましたが、米内はこれを拒否しました。そこで陸軍は陸軍大臣を辞任させて後継を出さず、米内内閣をを総辞職に追い込みました。総辞職した米内内閣は昭和天皇から「米内内閣がもう少し続けば戦争になることはなかったかもしれない」と語られるような内閣でしたが、軍部大臣現役武官制により崩壊することとなりました。

その後の軍の動き

軍部大臣現役武官制は結果として陸軍や海軍などの軍部はいつでも内閣を倒せる力を手にし、政治への介入を深めていきました。
その際たる法律が国家総動員法です。これは政府が議会の承認なしに戦争に必要な人的、物的資源を動員できるという法律で、自由民権運動により獲得した国民の声を政治に反映させる仕組みは完全にストップしてしまいました。この軍部による政治介入は1945年の敗戦により陸軍、海軍大臣が消滅するまで続くこととなりました。
欧米諸国では文官が陸軍、海軍大臣に就任する場合も少なくなく、シビリアンコントロールの理念が守られていましたが、日本では軍が自らの政治的要求を実行するために軍部大臣現役武官制を利用し政治進出を行なったとして批判されています。
日本国憲法では憲法66条にでは内閣総理大臣及びそのほかの国務大臣は文民でなければならないとされており、現在の防衛庁長官は、文民が任命されます。

ちゃんと軍部大臣現役武官制の反省がなされているのですね。

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