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世界史

ここまで違う!東西ドイツ復興の歴史を比較してみた!

2020年5月14日

2020年はドイツが統合してからちょうど30年。30年前のことですから生まれた時からドイツは一つとなっている人も増えてきており、ドイツが2つに分かれていたことを知らない人も増えてきています。今回はそんな東西に分裂していたドイツについて、戦後の経済復興を中心に比較してみました。

ドイツ。東西に分けられるってよ

1945年、第二次世界大戦が終わり連合国による統治が始まりました。日本にアメリカのマッカーサー元帥が来ていろいろ改革をしたのと同じようなものです。

ところがドイツに関しては、冷戦の影響もあってアメリカとソ連のどちらが統治するのかもめてしまいました。

最終的に東ドイツをソ連が、西ドイツをアメリカが統治することに。

そして人々の行き来を制限するため、ベルリンの壁が作られたのでした。1961年のことです。1989年にベルリンの壁が崩壊するまでこの体制は続きました。この壁を境にしてドイツの経済復興は全く異なる動きをしたのでした。

東西の経済格差

西ドイツはアメリカ主導で経済復興に成功します。これは「ライン川の奇跡」と言われます。

主には自動車の製造や、朝鮮戦争の特需で経済が活性化しました。世界的に有名なフォルクスワーゲン・ビートルは西ドイツ復興の象徴でもあります。

また、統治国であるアメリカからも金融支援を受けることができたことも大きな要因の一つです。それだけアメリカは西ドイツの復興に本気だったんですね。

そして1950年代にはGDP(国内総生産)がアメリカに次ぐ世界第2位にまで成長したのです。

ちなみに日本が西ドイツと同じ、世界第2位の水準まで成長したのは1968年のことです。東京オリンピックのあと、4年たってからとなります。

さらに西ドイツは戦後すぐに関係が悪くなっていた国々と仲直りをして国際社会への復帰も早期に実現しました。ここにもアメリカの力が見え隠れしていますが、それは別のお話。

さて、「奇跡」と言われる復興を遂げた西ドイツと比べ、東ドイツはどうだったのでしょうか?

東ドイツは工業地帯の基盤を持ってはいました。しかし、戦後の混乱でソ連が工業機械などを持ち去ってしまっていました。東ドイツの経済復興はこの時点で西ドイツに遅れを取ることに。実際、東ドイツから西ドイツへ移住したい人も多くいました。そんな人たちの対応策として建てられたのがベルリンの壁だったのです。西ドイツの方が経済的に裕福になっていったのですから無理もありません。

それでも1960〜70年代には順調な経済成長をしていました。年平均3%の成長は決して低い数字ではありませんが、西ドイツと比べると緩やかな復興をしている印象です。

そうなった理由はソ連の経済政策の1つ、計画経済にあります。計画経済とは、国が産業・金融のすべてを管理する仕組みのことです。

このシステム、不況にはめっぽう強かったのですが、同時に経済競争が生まれにくいという弱点がありました。国が生産量や生産するもの、労働者の賃金などをすべて決めているので当たり前ですね。国が決めた生産量の範囲内では競争なども起きませんので。

ですが東ドイツはこのシステムを押し付けられながらも、経済を立て直したのです。

結果として東西ドイツの戦後経済は、徐々に回復はしました。東ドイツは西ドイツとまではいかないものの経済が発展していき「社会主義国家の優等生」と呼ばれるほどになりました。しかし東ドイツは、国民と統治国・ソ連との意識の違いもあり様々な政策が出たり消えたりしていたようです。

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そしてこの経済の仕組みの違いの象徴となっているのが自動車産業。

西ドイツの車はアウディ・ベンツ・ポルシェなど名だたる会社ばかり。今でも世界中で使われています。

その一方で東ドイツの車はトラバントと呼ばれる車のみ。トラバントは東ドイツの国営会社でしたが、この車がまぁ1960年代の車から進化しないことしないこと。そりゃ計画経済ですから新しくしなくてもいいですし。その方が効率的ですからね。

それを象徴するかのような出来事としてベルリンの壁が崩壊したのちに、東ドイツ国民が西ベルリンになだれ込みましたが、その時に乗っていたトラバントを見て東ドイツの車に仰天したんだとか。言い方は悪いようですが、それほど東ドイツの車はボロっちいものだったのですね。

トラバント。排気ガスの問題でドイツでは許可がなければ走れないが、今でも愛好家がいるんだとか。

 

東西の統一といまだに残る格差

ベルリンの壁崩壊の様子 wikipediaより

1989年にベルリンの壁が崩壊。この長れに乗った西ドイツと東ドイツは翌年に西ドイツが東ドイツを吸収する形で統合。ドイツはついに一つになったのです。

しかし、その後に見たドイツは必ずしも明るいものではありませんでした。

確かに東ドイツは「社会主義国家の優等生」と呼ばれていましたが、しかし、計画経済で停滞した経済は西ドイツの経済にはるかに劣っていました。

一方で西ドイツは東ドイツに対しての経済支援を行なっていくようになり、経済が大きく停滞。さらには交換レートの問題で大損失を出したことでドイツの経済の悪化につながったのでした。

現在のドイツでも、国内を比較すると旧西ドイツの地域の方が経済的に裕福だそうです。冷戦に巻き込まれていなければドイツ全体が強くなっていたかもしれませんね。

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