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世界史 歴史用語

毛沢東が起こした最悪の失敗!?大躍進政策について解説!

2020年7月22日

1949年に中華人民共和国の建国を宣言して中国に社会主義国家を建設した毛沢東。

彼が掲げた社会主義は格差がなく誰も平等に暮らせる素晴らしい世界を目指すものでした。

しかし、彼が目指そうとした社会は大躍進政策という形でとんでもない結末を迎えることとなります。

今回はそんな毛沢東が起こした中国の悲劇。大躍進政策について見ていきたいと思います。

中国経済を一気に発展させるべく始まった大躍進政策とは

「大躍進政策(だいやくしんせいさく)とは毛沢東の行った「中国史上稀にみる愚策」として今も有名な政策です。

まず毛沢東とは中国共産党員創設党員の1人で、国民党の蒋介石を破り1949年に中華人民共和国を建国した立役者であり、初の国家主席。中国の紙幣にも印刷されている、いわば英雄です。

若い頃から思想家のマルクスやレーニンの教義に影響を受けており、独自の共産主義国家を目指していました。

1958年、彼が当時世界第2位の経済大国だったイギリスの工業・農業を15年(後に3年に修正した)で追い越すことを大々的に宣言。

これに基づき事実上の第二次五ヶ年計画として、農作物と鉄鋼の大幅増産を目的とした政策が大躍進政策です。

何故2位を目指したのかの理由は、ソ連のスターリンが同様に「1位のアメリカを抜く」と先に宣言していたからだとか。

そのスターリンが当時、大成功したと自ら公言していた政策の中の「コルホーズ(ソホーズ)」を模範として行ったと言われ、「大衆運動で国の富を生み出す」をテーマに様々な独自改革を実施していきます。

実際にはソ連もこの政策で大失敗をしていますが、当時はその事実を知る事はなく、彼は以前から大衆心理を動かすことを得意としていたので、「数の力」で大半の事は叶えられると信じていました。

その手法が最も自分に合っていて、他国で結果も出ているのなら有効だと考えていたのです。

今となっては「その場の思いつきで無計画」と言われる内容も、当時は建国の父と呼ばれ、資本主義からの解放を叶えてくれたという絶大なる信頼を得た「英雄」である彼の言葉として、国民は疑わず素直に受け入れ、そして必ず経済大国になれると信じていたのです。

その主だった政策内容は以下の2点。

ポイント

「大躍進」するはずだった政策の主な内容

・農業の集団化(人民公社の設立)
・大製鉄運動

次はこの点についてみていきましょう。

農業の集団化

毛沢東はまず農業の増産に向け、人民公社を設立し、農地や農民、農機具、家畜に至るまでを国有化していきます。

人民公社とは「一郷(村)一社」の規模で、農作業の集団化を始め、生活、政治経済、文化宗教そして軍事などの全てを包括する機能を持った組織のこと。

私的財産という概念は無くなり、土地・道具・家畜など全ての財産は公社管理委員会、生産大隊、生産小隊の3つで所有管理し、国有地としての田畑の農作業を生産隊毎に行うようになります。

一番の変化は「大食堂」と呼ばれる共同食堂での食事。各家庭での食事は禁じられ、全ての国民党員は決められた宿舎で私生活を共にし、この大食堂で食事を行うことになる。

毛沢東が常に「大衆行動で国の富を生み出す」という、独自の中国の発展像を追求していた一つの表れです。

更には伝統的な農法、近代農法を無視した独自の発想で、全く科学的根拠の裏付けのない稲の密植や、農地深耕での深植えなどの手法を強要し、正攻法な手法を蔑ろにした方法で増産を目論みます。

そのどれもが今となれば愚策ばかりで見るに絶えないですが、国民党員はこの「神の声」を素直に実行しました。

特に雀の駆除(四害虫駆除運動)は共産党員を総動員して徹底的に行い、北京市だけでも40万羽とも言われる数の雀の駆除に成功。

しかしその結果、雀を天敵としていた稲を荒らす害虫が増え、農業は深刻なダメージを負うという自滅の策となり、他の愚策も影響し始めた頃には、中国全土の食糧生産高は一気に減少してしまいます。

余談ですが、翌年には標的は南京虫へと変わり、ソ連に頼んで大量の雀を送ってもらったとのこと。何がしたかったのでしょうか。

大製鉄運動

農村で大量に作られた鉄鉱炉

この政策の最大の目標である「イギリスを抜いて世界第2位の経済大国」になる為、1番の課題である「工業(鉄鋼業)」の発展を目指したのがこの運動です。

イギリスの鉄鋼生産高を追い抜く為に「製鉄増産目標を前年比の倍」にする、という始めから無謀な計画に基づく大衆運動。最終的には発案初期の実に26倍の目標になっていた、と言います。

この無謀なる計画を実行する為に、人民公社の農民達は農業からコークス(溶鉱炉)燃料の為の石炭採掘への転向を余儀なくされ、更には生産量を上げる為に全国各地にお粗末な「お手製の土法高炉」を実に60万戸も設営し、国民党員総動員で製鉄事業へ乗り出しました。

ちなみにこの「土法高炉(土法炉)」の建設の為には煉瓦が必要ですが、国からの資材の供給はなく、各地で煉瓦採取の目的で寺院などを解体・破壊してそれに充て建設していきます。

由緒ある歴史的建造物もこの当時に殆ど解体されて、素人の工作に近い土法高炉という作品に生まれ変わります。

そして土法高炉の燃料は木炭ですので、全国で一斉に木炭の需要が高まり当然不足していき、これを補う為に中国全土の森林伐採が始まります。

果樹園の果樹や園芸用の灌木に至るまで燃料に変えられていき、遂には木彫りの仏像なども燃やし燃料にしていたといい、今では中国の最も古い仏像は、たまたま保管されていた日本にある物とのこと。

これによりイナゴの襲来を思わせる恐ろしいスピードで、中国全土に禿山も増え続けていきます。

原材料の鉄鉱石の入手も困難だった為に、生産数を増やすための苦肉の策として都市部では設備や建造物を解体し鉄を採取、農村部は鉄製の農機具や炊事用具を次々に土法高炉へ投入し続けます。

とはいえ、製鉄に詳しい専門家や技術者が多かった訳ではなく、その大半は製鉄に関して素人ばかりですので、粗悪なものしか出来ず「使用できた鉄製品を失って、使えない屑鉄を作る」という本末転倒かつお粗末な状態になっていきます。

実際、土法高炉を使用して出来上がった鉄のうちの60%は、全く使い物にならない屑鉄だったとのことで、これが事実ならば、個人的にはお手軽ホーム土法高炉製で4割が使えた事実に対し、逆に驚きを隠せません。

しかし、何故ここまでの無謀な生産状況に至ったか、という背景には毛沢東の行ってきた「粛清」を恐れた各地域の共産党委員会による「虚偽の報告」が日常化していたことが理由として強いようです。

虚偽報告をせざるを得ない背景

これらの大増産を目指した政策では、当然生産量を増大させた地区がより評価され、担当する共産党幹部は昇進が約束されます。

しかし逆にノルマに対して達成できなかった場合は、その地区を管轄する党委員会が責任を取るという取り決めが定められており、ノルマ未達成はそのまま「降格」または最悪「粛清」という、命の危険につながるということが予め公言されていたのです。

更にその過酷なノルマを達成するには現実的には難しい事実をわかっていても、伝えることも叶わない風潮が背景にあります。

このモノが言えない状況を表す有名な話では、「廬山会議」というものがあります。

大躍進政策の途中、江西省の廬山で行われた会議で当時の国防相だった彭徳懐が、その民衆の悲惨な現状を危惧し、政策への危機感を示した書簡を毛沢東に宛て書いたものを、その場の参加者が回覧しましたが、この意見に賛同した者は反体制派とみなされ全員失脚させられる、という恐ろしいエピソードです。

この後も毛沢東の独裁政治の勢いは止まらず、もはや指導部でさえ誰も意見をできる状況になかった現実がありました。

現実的に難しい状況にあっても、毛沢東は無理だという報告に対し「出来ない、という暇があるなら何が出来るかを考えろ」という回答しかなく、常に良い結果だけを求められ、もはや「良い報告」しかできない環境が出来ていたのです。

このような背景を前提に、農業においては各地から「生産増大成功」の報告をする為の過剰申告が蔓延、1区画に作物を集めて撮影した写真で、あたかも大量生産に成功したかのような虚偽宣伝する事態も競うように行われ日常化していきます。

そしてその虚偽の報告を元に、中央政府より税金や輸出などに回す穀物供出を求められますが、足りない数を農民から徴収するなどで数合わせを行うことを繰り返し辻褄を合わせていきます。

また、その後の大製鉄運動でも生産量ノルマを達成する為に、農民を総動員で作業にあたらせ粗悪な製鉄作業で屑鉄を量産し数として計上。

また農機具から生活品に至るまでの鉄製品を供出させこれも屑鉄に変換し、それでも足りなければ資金を出し合って製鉄所から購入するなど、とにかく「報告をする為の鉄の生産数」を最優先していました。

このように「ノルマ達成を捏造せねば命の危険がある」ので、全く事実と異なる状況を報告し続けますが、中央政府は特に確認をせず、それを正しい情報として認識して計画を進めていくので、それらが積み重なり遂に最悪の結果に繋がっていくのです。

国民総出の「大躍進」の顛末

これまでの各家庭の備蓄状態による限定的な食生活から、共同食堂によって全体の備蓄からの供給に変わったことで個人の心配が無くなり、皆が制限の無い食生活に変わっていくことで食糧の消費は一気に加速していきます。

共有の食糧なので、どれだけ食べても自分の物が減るわけではないが、自分が食べなくとも他の人が多く食べれば損をした気分になるのが人間です。結果、全員が無理をしてでも余計に食べるようになります。

反面、国民が総じて公務員のような状況なので、作業は作業量に応じて報酬が変わるわけでもなく、積極的に農作業に従事する者は減り殺されない程度の作業を維持するに留まり、余分な仕事を避ける傾向が強くなります。

田畑も自身の所有物ではないので責任感もなく、嵐で田畑が荒れても業務時間以外は当然作業しなくなっていき生産量は落ちていく一方になります。

また、土法高炉の燃料の為に伐採を繰り返し遮るものがなくなった為に、雨が降れば洪水などの自然災害は絶えず、放置された田畑は荒れ、鉄をつくる為に農具を失った農民は農業を行える状況に無くなり、一気に食糧不足は加速することとなります。

消費は増加するも生産は激減、気がつけば中国全土で食料が大きく不足し大飢饉が訪れ、実に3000万人とも4000万人とも言われる餓死者を出すことに。

経済が発展するどころか、国家存亡の危機に繋がる非常事態になってしまったという、なんとも言えない顛末を迎えます。

毛沢東はこの大躍進政策の失敗の責任をとって国家主席を辞任。文化大革命が起こるまで実質的な権力を一時的に失うことになりました。

終わってみれば「大逆進」政策

国家として、初の首席として「第一次五ヵ年計画」に続き、功を急いだ感のあるこの政策は、数多くの国民の悲惨な死とともに幕を下ろします。

社会主義経済では国が主導する政策において国民に拒否権はなく、与えられる指示をそのままに行動し、独裁政治による「粛清」を恐れた共産党委員会は虚偽の報告を繰り返しました。

一説によると、毛沢東は農民を番号で呼んでいたという話もあり、彼のいう「大衆」とは人間的な意味ではなく、自分の「理想実現の為の道具」としてしか見えていなかったのかも知れません。

また虚偽の報告に基づいて実情を誤認していた為、ソ連への借款の返済を飢饉の時期にも農作物で続けていたという話もあります。

この事実から、それほどまでに実際の状況と中央政府の認識が乖離していた事が伺えます。

結果的には毛沢東も自身の失脚を招くことになったこの「大躍進政策」ですが、記事を書いていて一番感じた事はなんだか日本のブラック企業の話をしているような、そんな気持ちになる事です。

寮などの場合は除き大半は生活までは共にせずとも、会社内での共同作業による抑圧や、トップダウンによる個人の主張を無視した計画や指示、無給のサービス残業や怒られないように報告の虚偽や水増しによる成績の捏造など、違う国の昔の話とそう違わない気がしてきます。

皆さんの勤める会社でも、同じように「大躍進」する計画を掲げ、無謀な策を強要する社長様が居ないことを心から祈ります。

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