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世界史 経済用語

ブレドン・ウッズ協定ってどんな協定?仕組みと崩壊までの流れを解説!!!

1945年~71年にかけて、アメリカや西ヨーロッパ、日本を初めとする西側諸国のあいだで締結され、国際経済の発展に大きく貢献した「ブレトン・ウッズ協定」。アメリカを中心としたこの協定は戦後の復興の柱となり、特に著しい成長を見せた日本の様子は「東洋の奇跡」と評されるほどでした。

ブレトン・ウッズ協定がなければ、今の私たちの豊かな暮らしぶりは実現できていません。しかし、一方でこの協定には落とし穴もあり、それゆえにアメリカが金融危機を迎えてしまった事実もあります。

私たちの今を支える基盤となったブレトン・ウッズ協定とは、いったいどんな制度だったのか。それによってアメリカがどんなピンチに陥ったのか、今回はそれぞれの事情を垣間見ていきましょう。

ブレトン・ウッズ協定とは?

ブレトン・ウッズ協定とは、第二次世界大戦も終わりに差し掛かっていた1944年7月、アメリカ・ニューハンプシャー州ブレトン・ウッズにて連合国通貨金融会議が行われ、締結された金融協定のことです。

国際会議には計45ヵ国が参加し、以下の問題点について話し合いが行われました。

ポイント

・戦前の金本位制により、各国の経済体制が孤立するブロック経済圏が発生し、第二次世界大戦に発展してしまったこと
・大戦により疲弊した世界経済の安定化を図る必要があること

結果これらを解決するため、アメリカドルを国際的な基軸通貨とするブレトン・ウッズ協定が締結されることになります。世界の基準となる通貨を設定することで各国の貿易を促し、経済が孤立することを防ごうとしたわけですね。

この協定に基づき、アメリカは加盟国への融資を行うIMF(国際通貨基金)、IBRD(国際開発復興銀行)を設立。以降1971年まで、世界経済の安定化に貢献していくことになります。

アメリカが主軸となっているのは、第二次世界大戦で唯一戦場になっておらず、経済的にもっとも安定している国だったからです。

各国の通貨価値の安定化を目指した固定相場制を採用

ブレトン・ウッズ協定は金とアメリカドルの交換を軸にしたもので、金1オンス=35ドルと通貨の価値を決定。このドルに対して各国の通貨価値を固定することで、世界的な経済の安定化を図ろうとする体制でした。これを固定相場制といい、たとえば日本円は1ドル=360円とされ、この通貨価値は協定が廃止される1971年までずっと変わっていません。

戦前に取られていた金本位制では、各国が自国の金保有率によって通貨の発行数を決めており、金保有率が多い国・少ない国の通貨価値が安定していませんでした。これによって貿易に障害が生まれてしまったのがブロック経済化で、第二次世界大戦の根本の原因にもなっています。

この金本位制に対して、ブレトン・ウッズ協定ではアメリカドルだけを金と交換できる通貨としました。そしてドルを基準に各国の通貨価値を決め、国ごとのバラツキをなくすことで貿易を推進していったわけです。

ブレトン・ウッズ協定によって対外貿易にどんどん乗り出していった国の復興・発展は急速に進み、おかげで日本も現在は先進国のひとつに数えられるようになっているのです。

協定に反発した社会主義国との対立も

ブレトン・ウッズ協定に参加し発展していった国もあれば、協定に反発し、これまた独自の経済圏を築こうとした社会主義国もあります。

ソビエト連邦がその中心に当たり、アメリカとの対立は1945年から89年まで40年以上に渡るものでした。対立はしていたものの実際に戦争が起こったわけではないため、この状態は「冷戦」と呼ばれています。

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アメリカがブレトン・ウッズ協定で各国の復興を促したことは、こういった反対勢力に対抗するための手立てでもあったのです。そのため60年代以降はアメリカによる各国への軍事援助も精力的に行われています。

結局、ソ連が独自の経済圏を築くことに失敗していることから、国家の維持には国同士の協力が欠かせないこともわかりますね。

ブレトン・ウッズ協定の崩壊

このように、1944年に締結されて以来、30年近く世界経済を支えてきたブレトン・ウッズ協定。しかし1971年8月、アメリカのリチャード・ニクソン大統領が金とドルの交換を停止することを発表し、この経済体制も終わりを迎えることになります。

ブレトン・ウッズ協定はとてもよくできた体制のように思えましたが、アメリカというひとつの国を基準としたことが、最終的にアメリカ自身を追い詰める結果になってしまったのです。

各国の貿易が活性化されたことでアメリカではものの輸入量が増え、そのぶんドルが各国に流出。そして各国が発展するとアメリカの企業もどんどん海外進出していき、さらにドルの流出量が増えます。

こうしてドルが世界各国に行き渡った状態で何が起こるかというと、それぞれの国がドルへの価値を見出さなくなってしまうんですよね…。

どの国でもたくさん出回っているドルには価値がない…となると、それぞれの国が考えることは、より価値のある金にドルを交換すること。しかし加盟国の意向が一度に金への交換に傾けば、今度はアメリカから金が足りなくなってしまいます。

以上の経緯から、アメリカドルと金の交換は停止されたのです。この世界経済の基軸を大きく揺るがす大事件は俗に「ニクソン・ショック」と名付けられました。

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崩壊後も固定相場制を維持しようとするが…

ニクソン・ショックが起こったあと、1971年12月には新しい対策としてスミソニアン協定が結ばれています。

スミソニアン協定はアメリカドルの価値を金1オンス=38ドルとし、ドルに対する各国の通貨価値も引き上げてバランスを取ろうというものでした。このとき日本円は1ドル=308円の価値になっており、もとの1ドル=360円から考えると、ドルの価値がかなり低く見直されたことがわかります。

このような苦肉の策でアメリカは固定相場制をなんとか維持しようしましたが、そもそもひとつの国の通貨を基軸にする考え方自体に限界があり、一度は崩壊した制度です。結局はスミソニアン協定も応急処置にすぎず、制定から2年、1973年には廃止されてしまうことになります。

ここから国際経済は現在の変動相場制に移行し、国の情勢に応じて通貨の価値が決められるようになったのです。

ブレトン・ウッズ協定から学ぶ教訓

通貨はものと交換できるという信用があって、初めて価値が生まれるものです。つまり通貨に価値をもたせるためには、金のように誰でも価値を見出せるものを基準にする必要があります。しかし実在する物体には限りがあり、それを頼りに経済を回していると必ず限界がきてしまうものです。

お金は本来紙きれにすぎません。ブレトン・ウッズ協定の崩壊を巡っては、そこに価値をもたせることがいかに一筋縄ではいかないことかを実感させられますね。
昨今はクラウドファンディングのようなサービスも登場し、出資を募る人の人となりに価値を見出す文化が徐々に台頭してきました。
人となりに価値が見出されるのは「何か起こしてくれそう」「応援したい」と見る人が思うから。同じように通貨に価値があるのはものと交換できるからです。人はなにか見返りがあるものに価値を感じるわけですね。

見返りを用意できなくなったがゆえ、崩壊してしまったブレトン・ウッズ協定。

その経緯からは「人から価値を見出されるためには、相応の見返りを用意できる状態にしておかなければならない」という、現代にも通じる教訓を学ぶことができます。

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