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日本史 経済用語

なぜバブルは起こってしまった?バブル経済発生から崩壊までの流れを徹底解説!

2020年6月30日

バブル経済とはいったい何だったのでしょうか?

今の若い世代の方々はバブル経済について、幼くて記憶がなかったり、まだ生まれていなかったりで、当時のことを知らない人も多いでしょう。

1986~1990年頃にかけて、日本で起きた株価や地価などの資産価格の急激な上昇と、それに伴う今では信じられないほどの好景気に日本中が沸いていました。

バブル経済の発生から崩壊まで、そのとき何が起きていたのでしょうか。

バブル経済とは

冒頭の文中にもあったように、1986~1990年ごろにかけての好景気のことで、経済の急激な膨張ぶりとのちの崩壊までの過程が、泡が膨らんでしぼむ様子に似ていることから、「バブル経済」と呼ばれるようになりました。

資産価格の上昇自体は悪いことではありませんが、日本経済の実力をはるかに超えて上昇してしまったことが問題でした。しかし、当時の日本人は「これが日本の実力だ」と信じて疑わず、当たり前のことだと思っていたようです。

そして、未曽有の好景気に盛り上がる日本人は、今では信じられない生活をしていました。

高級住宅や高級車、高額のゴルフ会員権が飛ぶように売れ、リゾート地は溢れかえるほどの人で埋めつくされ、高級ディスコにはその日の遊び相手を探しにたくさんの男女が毎晩押し寄せていました。

銀座や六本木の高級クラブでは、黒服の誕生日に現金で100万円あげる人が居たり、ボイラーメイカー(爆弾酒)というのを飲むとお金が貰えるゲームが流行になるなど、日本人の金銭感覚は完全に崩壊していたようです。

資産価格の上昇がもたらしたバブル経済、その発生原因はなんだったのでしょうか。

なぜバブル経済は起きたのか?始まりはプラザ合意

バブル経済が起きた発端は「プラザ合意」にあります。

アメリカには当時、ドル安によって自国の貿易赤字を改善したいという思惑があったようです。

そこで、1985年9月22日、アメリカの呼び掛けにより先進5か国(日米英独仏)財務省、中央銀行総裁会議(G5)がニューヨークのプラザホテルで開催されました。

この会議でドル高是正(日本から見たら円高ドル安誘導)を目指すことで各国が一致したのが「プラザ合意」です。

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輸出主導型の日本経済を襲った円高不況

しかし、プラザ合意の後、政府や日銀の予想をはるかに上回るスピードで円高が進行してしまいます。

1ドル=240円台だった為替レートは、一年後には1ドル120円台まで円高となりました。

急激な円高は日本企業を直撃し、円高によって日本製品の国際競争力は弱体化の一途をたどり、輸出主導型で成長してきた日本経済は円高不況に陥ってしまいました。

円高不況を打破するための輸出主導型から内需主導型への転換と低金利政策

1986年、世間は円高不況の真っただ中にありました。

こうした状況のなかで、円高の影響を回避するために、生産拠点を労働力の安い東アジアに移したり、貿易摩擦を避けるために現地生産を進める企業も現れました。

これにより、外国で生産した工業製品の逆輸入やOEM生産(相手先ブランドによる供給)が増加したため、国内では製造業が衰弱化し、産業の空洞化が起こりました。

そして、日本の貿易構造は大きな変動期を迎えることになります。

内需主導型経済への転換

この状態を打破するために、政府と日銀は、プラザ合意より以前は、輸出主導型で外需依存だった日本経済を、内需主導型経済へと転換しようと内需拡大に努めます。

時の総理大臣、中曽根康弘元首相の私的諮問機関である、国際協調のための経済構造調整研究会が纏めた報告書の方針に沿って進められました。

この報告書は、当時この研究会の座長であった、前川春男元日銀総裁の名前に因んで、「前川レポート」と呼ばれています。

この前川レポートで提唱されている内需拡大の主な方針は

ポイント

・公共投資の増大

・輸入の拡大

・貿易黒字の縮小を目指す

といった内容です。

自国の状況を悲観的に捉え、これからは国際協調が大事であると力説されています。

この前川レポートの方針に沿って、日本経済を転換していった結果、バブル経済が発生します。

円高不況脱却を目指す日本の金融緩和政策

円高不況の下で、政府は金融緩和政策に踏み切り、徹底した低金利政策で、公定歩合を過去最低の2.5%まで下げるとともに、積極的に財政支出を増やし、大規模な公共投資を行いました。

この結果、1987年以降の日本経済は、公共投資・消費拡大を中心に平成景気と言われる大型好況の時代に突入します。

暴騰する株価と地価、日本人に広がった間違った認識

日銀が公定歩合を引き下げた、超低金利政策のもとで、資金調達がしやすくなった日本企業はたくさんのお金を借り設備投資などを行いました。

また、個人としても金利が低いので銀行には預けず、株や土地などの資産を買い漁りました。

その結果、株価や地価の異常な上昇という事態が起こります。この異常な上昇の代表例として、NTTの株価の変動が挙げられます。

1987年に民営化されたNTTの株式が公開されると一般人もNTTの株を買えるようになりました。

そして公開時1株119万円だったNTTの株は2か月後にはおよそ3倍の318万円まで暴騰しました。これをきっかけに株で儲けようとする株ブームが起こりました。

またこの時の東京23区の地価合計は、敷地面積が15000倍の全米の地価合計となるなど実体とはかけ離れた異常な価格まで上昇していました。

そしてバブル崩壊の直前の1989年12月29日。日経平均株価は過去最高の38957円を記録しました。

このブームや地価の暴騰が「株や土地の値段は上がり続けるから、株や土地を買うことが簡単にお金を儲けられる方法だ」という間違った認識が日本人の中に広がることになります。

しかし、実態を伴わない異常な価格の高騰が長続きすることはあり得ません。

この後日本は、バブル経済の終焉と失われた20年といわれる暗黒時代を迎えることとなります。

バブル崩壊、失われた20年へ

「お金は勝手に増える。株と土地さえ買っておけば人生は安泰だ。」

そんな幻想の中生きていた日本人が強制的に現実に戻される時がやってきました。バブル崩壊です。

1990年3月に大蔵省銀行局長土田正顕から通達された「土地融資関連」の抑制について(総量規制)に加えて、日銀による金融引き締めは急激なものとなり、信用収縮が一気に進んだ事が原因と言われています。

当時の政府の言い分は「資産価格の高騰により国民の間に格差が広まった。だからバブルを潰し、経済を正常化するのが最大の課題だ」というのが当時の人達の認識でした。結果として、この認識は大間違いで、今なお続く負の遺産を大量に生み出すこととなりました。

地価・住宅価格の下落をはじめ、不良債権の拡大や大手金融機関の破綻、銀行の破綻によるメインバンクの喪失、貸し渋りや貸し剥がしによる企業の倒産など挙げ始めたらキリがありません。

そして今コロナ禍にあるなか昨年に行われた消費増税ですが、なんとこのバブル崩壊の前年である1989年に、消費税が導入されていました。

タイミングとしては最悪です、この消費増税はバブル崩壊による被害をより悪化させる方向に働いたことは言うまでもありません。

2020年、失われた20年が30年へ

未曽有の好景気、バブル経済が我々に残したものは多くの負の遺産でした。

しかし、賢者は歴史から学ぶの言葉通り、この出来事から学べることは大いにあるはずです。今もなお、日本はデフレの不況の渦から抜け出せずにいます。

このままいくと失われた20年どころではなく30年。時間だけならまだしも我々がいきる、この日本がなくなってしまう可能性もあります。

それを防ぐためには、国民が政治に興味を持ち賢くなることで、政治の間違った判断をただすことができるようになることです。

この記事を読んでいただいた皆様が、政治に関心を持ち、情報が溢れるこの社会を賢く生きて行くことができることを心から願っております。

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