アジア通貨危機は1997年にタイを中心として、アジア全体に通貨下落が起こった現象です。これによりタイだけでは無く、フィリピン・インドネシア・マレーシア・韓国・香港などの広範囲経済に大きな打撃を与えました。
更に、中国やアメリカそして日本にも融資の鈍化など様々な影響を与えたのです。
果たしてどうしてこんなことになってしまったのか?今回はそんなアジア通貨危機について解説していきたいと思います。
この記事の目次
なぜこんなことが起きたのか?
アジア通貨危機が起こっていた一つの原因が「ドルペッグ制(固定相場制)」という仕組みです。
ドルペッグ制とは自国の通貨の為替レートをこの当時の基軸通貨であったドルと固定する仕組みのことです。たとえばとある国がドルペッグ制を採用したとすると1ドル=○○で相場を固定し変動させないようにすることになります。昔の日本も1ドル=360円とドルペッグ制をとっていました。(いまの日本は変動相場制です)
このドルペック制には為替レートが安定するというメリットがあります。
その場合では為替レートが安定すれば外国の企業にとってはその国に投資しやすくなるため、ドルペッグ制を採用するメリットが大きいのです。
アメリカ投資家の意識転換
通貨危機の引き金を引いたヘッジファンドは、アジア通貨が本来のレートから外れたものだと考えました。
東南アジアの各国は、人件費の安さから日本や欧米各国によって生産拠点になっていました。つまり、安い場所に工場を作ろうと考えられていたのです。
しかし、90年代に入ると経済解放を行なっていた中国を「工場」にしようと考え、日本や欧米の企業は東南アジアから中国へ生産拠点を移し始めました。
そのため、投資家たちは徐々にシェアが中国に移ることで東南アジアが先細りになると思うようになり、さらには「東南アジアにこのまま投資していて大丈夫かな?」と不安を抱くようになっていました。
また、アメリカでは赤字を解消するためにどうにかしてドル高政策を取ろうとしていました。その結果ドルペッグ制をとっていた国々もそれにつられて通貨高になっていくようになり輸出が伸び悩むことに。
その結果、アジアに投資している投資家たちはさらに疑念を持つようになりました。つまり、東南アジアでは経済成長が続いているのにもかかわらずドルペッグ制をとっているから実体経済とずれていると考えたのです。
こうした経緯から、ヘッジファンドを中心とした機関投資家はタイのバーツを中心に空売りをしかけたのです。
アメリカ在住の機関投資家がヘッジファンドを意図し、通貨の空売りを先行させてことに端を発します。
空売りとは通貨を借りてきてそれを売ること。
わかりやすいように解説すると、ヘッジファンドは巨大な銀行等から通貨を借りてきます。タイのバーツをたくさん持っている銀行からバーツを借りるのです。そしてを売りまくって相場をバーツ安に誘導し、ストップ安になったところで売りをやめて売ったバーツを買い戻すということをやるのです。つまり「高い所で売って安い所で買い戻している」ため、ヘッジファンドは大儲けできるのです。
これが、ヘッジファンドが通貨の空売りによって大儲けする仕組みです。
バーツの大暴落
ヘッジファンドによる大量の空売りにより、タイ政府は急激に価格が下落したバーツを支えきれないと判断しました。
これ以上ドルペッグ制を採用すると、ヘッジファンドによるバーツ売りが止まらなくなる可能性があります。
よって、タイ政府はここでドルペッグ制から変動相場制への移行を決定しました。
変動相場制への移行を決定したのが1997年7月、ヘッジファンドによる空売りが始まってからわずか2ヶ月の出来事でした。
しかし、輸出が主な産業であるタイではこの一連の混乱の最中で輸入増加となってしまい赤字に転落。ドル高政策も相まってタイの通貨価値が徐々に下落してしまうことになります。
その結果、変動相場制に移行はしたものの、その後もバーツは暴落し続け当時1ドル=24.5バーツだったのが1年後には207.31バーツまで下落しました。
このような要請が求められたタイ政府は、政府歳出削減や引き締め政策を実施。その結果タイ経済は大きな打撃を受けました。アジア通貨危機が起こった1998年のタイの経済成長率は-7.63%、実質GDPも前年比から10%以上減少しました。
連鎖する暴落
自国の経済力で収集の付かなくなったタイやインドネシア・韓国はIMFの介入を受けて経済の立て直しを図り、中国も直接的な被害は少なかったものの輸出中取引にかなりのダメージを受けたのです。
タイバーツが暴落したことをきっかけに、その余波はタイだけでなくアジア地域へと波及しました。
当時はタイ以外にも、インドネシアや韓国などもドルペッグ制を採用していたことによりヘッジファンドによる空売りが同様に発生したのです。
インドネシアの経済危機
インドネシアは昔から財政は良くて、90億ドル以上の貿易黒字を維持しており、さらにはタイみたいにドル高につられてデフレとなっていたタイと違い、緩やかなインフレーションを見せていたため、アジア通貨危機が始まった当初は影響をあまり受けていませんでした。
しかしタイがバーツを変動相場制へ移行したとき、インドネシアの通貨局が為替介入し、ルピアのレートを8%から12%に固定するとインドネシアの通貨であったルピアは一気に暴落。
ルピアの激しい空売りなどに不安感を掻き立てる結果となってしまい株価もそれに応じて暴落。9月にはジャカルタ証券取引所が史上最低株価を記録することになります。
一気に通貨危機に追い込まれてしまったインドネシアに見てIMFとアジア開発銀行は総額230億ドルの支援を約束。
しかし、通貨危機を招いてしまったことは政情不安を招くことになり、一気にインフレーションが進行してしまい、急激な食品価格の上昇とそれに対する暴動を招くことに。やがて反政府デモへとつながり、32年に渡り独裁者としてインドネシアを支配していたスハルト大統領は辞職。スカルノ・スハルトと続いたインドネシア の開発独裁は終わりを迎えたのです。
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韓国の経済危機
韓国はアジア通貨危機が発生する前から、財閥の影響が強く企業が業績悪化するとそのまま韓国の経済危機に繋がる恐れがありました。
さらに、金融部門での不良債権問題などが発生しており、経済を不安視する声があったのです。
その結果アジア通貨危機で韓国は1ドル=850ウォンから1ドル=1700ウォンまで下落。
財閥の業績も一気に悪くなってしまい、起亜自動車が破綻。さらには韓国一の財閥であった起亜自動車の親玉であった現代財閥が解体。第二位の大宇財閥も消滅する大打撃を受けてしまいます。
さらに格付け機関のムーディーズ社は韓国の格付けをA1から最終的にBaa2まで落としたことで韓国の証券取引市場はさらに冷え込み、韓国経済に打撃を与える結果になりました。
経済だけでない被害もあった
経済にダメージを受けることは、時の政権に対する人民の不信感を大きく増徴させるものです。誰だって自分の生活が安定しなくなるのであれば、時の政権に従う意味を見いだせなくなるからです。
実際にアジア通貨危機においては、タイとインドネシアで政権交代劇が起きたのですから全世界的に見ても対岸の火事と笑って居られるものではないでしょう。
これまで見過ごしてきた問題点が明らかになり、アジア通貨危機が世界に与えた影響はとても大きいものがありました。
様々な問題点が次々と明らかになっていく仮定において、各国が注目したものがあります。
銀行間取引の主軸であった、ユーロダラーも次々にアジア圏から抜け出しを図り、アメリカに集中するのにさほど時間はかかりませんでした。
そして、それまでは蚊帳の外と思っていたロシア経済にも打撃を与えたのです。
これにより引き起こされたとされる、オランダ危機などの経済的な打撃は世界各国へとその影を落としていったのです。
そのとき、日本は?
当時、日本でもこの影響を受けたのは事実です。
バブル経済の崩壊から立ち直りを見せつつあったものの、消費税5%の増税と時期の重なったこともあり、国内経済はこれまでにないほどの冷え込みを見せました。
就職氷河期・失われた20年などと評されることになったのは覚えておられるのではないでしょうか。
今改めて学ぶこと
四半世紀も前に起きた、アジア通貨危機ですが現在にも通じることがひとつあります。
それは自国経済での需要と供給のバランスが取れているかを見極めておくことがどれ程大切かということです。
つい最近まで、コロナ禍の話題の中心にあったマスク不足も同じことが言えるでしょう。
不測の事態が発生しても自国内流通の最低ラインが確保されていればあのような社会現象までは起きなかったのではないでしょうか。単に製造単価が安いというだけの企業の利益最優先の思考が結果として国民生活を大きく揺るがしたのです。
そこに至る前にも、自国の経済活動を他国に浸食されていることに私たちも気づく機会はいくらでもあった筈です。正に、生殺与奪の権を一時的利益と引き換えにしていたと言われても仕方のないことでしょう。
自国の経済を成長させる力(資金)とその為に必要な労働力を国内で確実に蓄えておくことがいかに大切なのかを改めて痛感したと思います。私たちがアジア通貨危機で学んだことが生かされていれば、その後の東日本大震災でもリーマンショックでも、今回のコロナ禍でもこれほど大きな問題にはならなかったと思います。
今度こそ、私たちが蒙った被害から学んだことで、明るい未来への礎としたいものです。