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日本史

日英同盟はなぜ結ばれた?気になる内容と理由を分かりやすく解説

2020年9月19日

日英同盟は、世界史にも日本史にも出てくる、歴史的に有名な出来事です。

明治維新以降、日本はヨーロッパと対等になるべく近代化を推し進めていき、そして日清戦争の後にはロシアに対抗するためにイギリスと同盟を結ぶこととなります。

今回は、そんな日英同盟の内容と、この同盟が結ばれることになった理由について分かりやすく解説していきます。

日英同盟とは?

日英同盟は1902年に日本とイギリスの間で結ばれた軍事同盟で、この同盟には、日本とイギリス、そしてロシアの3カ国が関係しています。

当時、日本とイギリスの共通の敵であった、強国ロシアの清国(中国)進出(南下政策)を阻止するという目的のために結ばれました。

ロシアの清国進出

当時、ロシアは領土拡大のために、南下し、清国への進出を進めていました。
その理由にはロシアは寒冷地のため、思うように貿易を行うことができていなかったという背景があり、ロシアの経済力を増すためには、その要となる港の確保が絶対の条件だったのです。

そこで、ロシアにとって非常に都合が良い場所であったのが、清国でした。
このロシアの清国進出を阻止したいと考えていたのが、日英同盟を結んだ日本とイギリスです。

栄光ある孤立といわれたイギリスとの同盟

当時、世界最強の経済力と強大な軍事力を誇っていたイギリスは、「他国との同盟関係は結ばない(非同盟)」という姿勢をとっていました。このイギリスの姿勢を「栄光ある孤立」いいます。
日本は、そんな世界最強の国イギリスと、後に日英同盟を締結することになります。
これまでアジアの小国としか思われていなかった日本は、この同盟をきっかけに、列強国(世界の強国)に並ぶ国であると、世界の諸外国から強く認識されるようになりました。

日英同盟が結ばれた理由と背景

日英同盟には、領土を広げようと東アジアへ進出する強国ロシアVS(対)それを阻止したい日本とイギリス。という背景があります。
それではなぜ、日英同盟が結ぶ必要があったのでしょうか?以下で、その理由となる歴史の流れを見ていきましょう。

『日清戦争』勝ち取った朝鮮

これは、日英同盟が締結される以前の話です。
明治時代の日本は、西洋文化を取り入れることで急速な近代化を進めていました。
当時、領土を拡大し、更なる経済発展を目指していた日本は、清国の管理下にあった朝鮮を貿易拠点にしたいと考えており、日本政府から朝鮮に圧力をかけることによって、西暦1876年に「日朝修好条規」という日本に有利な条約(不平等条約)を朝鮮と結ぶことに成功します。

この条約により、朝鮮での自由な貿易の権利を得た日本でしたが、これを面白く思わない国がありました。それが、朝鮮を管理していた清国です。

朝鮮への日本介入後、日本と清国は、お互いの兵を勝手に朝鮮に送らないという取り決め(1858年:天津条約)を行い、表面上は尊重し合っていました。

しかし、それはあくまでも表面上の話で、内心では朝鮮を相手に渡したくないという思いがありました。

そして、西暦1894年、ついに朝鮮内で勃発した内乱をきっかけに、日本と清国の間で朝鮮の領土化を巡る「日清戦争」が勃発します。

日清戦争の結果は、日本の圧勝でした。
日本はこの勝利によって、下関条約という条約を清国と結び、遼東半島・台湾・澎湖諸島を領土とすることに成功しました。

不本意の遼東半島返還

日清戦争によって遼東半島は日本の領土になりました。しかし、これを良く思わず、清国に遼東半島を返還するように求める国がありました。
それが、ロシア・フランス・ドイツの3国です。ロシアは不凍港の獲得のために遼東半島を領土拡大の足掛かりにしたいと考えていたため、遼東半島を日本に取られたまま、黙っているわけにはいかなかったのです。この3国が日本に対して行った、遼東半島の返還要請を三国干渉といいます。

日本はこの要求に対し、返還するかどうか悩みますが、最終的には3国との武力面を考慮した結果、3000万円の追加賠償を条件に渋々遼東半島を清国に返還することになります。

奪われた遼東半島

渋々、遼東半島を清国に返還した日本でしたが、この返還の後、返還したはずの遼東半島は、ロシアの清国進出(南下政策)によって、返還を求めてきた3国に奪われてしまいます。

日本は、自分たちが手に入れた遼東半島を返還させられた挙句、最終的にはその領土を他国に奪われてしまったのです。

日本としては納得のいくものではありませんでしたが、そのときの日本には、大国ロシアから遼東半島を取り戻す力はなく、遼東半島を取り戻す機会を待つことしかできませんでした。

イギリスの背景

一方、清国への進出したいと考えていたイギリスにとっても、ロシアの清国進出(南下政策)はどうにか阻止したい動きでした。

しかし、その頃のイギリスは、最大の植民地であったインドなど、清国以外の重要拠点をロシアから守ることに注力しており、流石のイギリスも遠方の清国までは手が回らない状況にありました。非同盟を貫くイギリスでしたが、清国の進出を阻止するためには、他国の協力が必要な状況になっていたのです。

結ばれた日英同盟

ロシアから遼東半島を取り戻し、領土を拡大したい日本。そして、ロシアから植民地を守りつつ、ロシアに代わって清国へ進出したいイギリス。

共通の敵であるロシアに対抗し、両国の置かれた状況を打破することを目的に1902年に日英同盟が結ばれました。

これにり、日本はイギリスからの大きな支援を受けることができるようになったのです。

日英同盟に対する賛成と反対

日英同盟が締結される以前、日本国内では、「賛成」の意見と「反対」の意見に分かれました。

反対を主張した人物で有名なのは伊藤博文で、賛成を主張したのが桂太郎です。そしてこの、日英同盟に対する反対派の考えを「日露協商論」といいます。

日露協商論とは?

日露協商論は、簡単にいうと「日英同盟を行わずに、外交によって解決しましょう」という意見です。

ロシアの清国領土化(満州などの北部)を認め、三国干渉によって奪われた遼東半島は、日本が支配する。といった、戦争などの武力解決ではなく、ロシアとの話し合いによって遼東半島(朝鮮)を取り戻そうとする考え方でした。この案には伊藤博文や井上馨が支持しており、当初、日英同盟について日本国内では賛否が分かれていたのです。

日英同盟締結の内容

日本国内では、賛成と反対の意見に分かれていましたが、最終的に賛成派の意見が通り、西暦1902年、イギリスと日英同盟を締結されました。

日英同盟は、イギリスと日本がロシアに対抗するために結ばれた軍事同盟で、内容は以下のようなものでした。

ポイント

1 清国と朝鮮における、日本とイギリスの権益をお互いに認め合う
2 日本とイギリスどちらか一方の国が他国と交戦した場合、片方は中立を守る
3 2の交戦時、相手側に他国が応援参戦してきた場合、片方の国は中立の立場をやめて参戦する

この同盟での取り決めを簡単にいうと、以下のような内容になります。

ポイント

1 清国が他国に侵略されそうになった場合、両国はしかるべき対応をとる。
2 もし日本・イギリスのどちらかが敵国と戦争になった場合、同盟国は手を出さない。
3 敵国の応援で第三者が加わった場合は、同盟国が助けに加わる。

この日英同盟により、日本はイギリスという世界最強の国を味方に付けたのです。

転機を迎える日英同盟

こうして日英同盟を結んだ日本。日露戦争では日本は獅子奮迅の活躍を見せて日本に有利な内容で講話を結ぶことになります。その後両国間で更なる協議が進められた結果、第二次日英同盟では適用範囲をてインドを加え拡大されます。

しかし、このころから日英同盟はほころびを見せることになります。

第一次世界大戦と日本参戦

日露戦争から10年後の1914年にヨーロッパを巻き込んだ第一次世界大戦が起こります。この時日本は日英同盟を理由に連合国の一員としての立場で参戦しました。しかし、この時日本は革命で混乱していた中国に進出したいと思っており、ドイツが持っていた山東省の利権を奪おうとしていたのです。

日本は青島を占領してドイツの植民地の占領に成功します。またそのついでに中国に対して二十一カ条の要求を突きつけ、中国が日本がドイツが持っていた権益を引き継ぐことを認めさせました。

第一次世界大戦でも活躍を見せた日本でしたがこのように中国に対して進出し、アジア唯一の列強国として世界に認められる国へと成長した日本は徐々に米英両国から警戒されていくようになります。

四か国条約の締結

第一次世界大戦後ヴェルサイユ条約が締結され、ヨーロッパではヴェルサイユ体制と呼ぶ新しい秩序が生まれることになりました。

そんなさなか日本・イギリス・アメリカ・フランス・イタリア・中華民国・オランダ・ベルギー・ポルトガルの計9カ国が軍縮について協議するワシントン会議が1921年に開かれます。アメリカは太平洋急速に拡大している日本海軍の拡大阻止も目的に含まれており、会議の後にはワシントン体制と呼ばれるアジア太平洋地域における新秩序がうまれることになります。

さらにワシントン会議のさなかに日本・アメリカ・フランス・イギリスによる四か国条約が1921年に締結。そもそも共通的であったロシアが十月革命によって崩壊したため敵対する国がいない状態となります。そのため1923年に四か国条約締結に伴って日英同盟は破棄されました。

日英同盟は日本の転機となった出来事

日英同盟は、日本とイギリスが同盟を結び、ロシアの清国進出を阻止するために結ばれた同盟でした。
この日英同盟の後に、日本とロシアの間で、世界史でも有名な日露戦争が起こることになりますが、日本はこの同盟をきっかけにして、奪われた領土を取り戻したのでした。

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